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【随想】宮沢賢治『虔十公園林』

 虔十はいつも縄の帯をしめてわらって杜の中や畑の間をゆっくりあるいているのでした。
 雨の中の青い藪を見てはよろこんで目をパチパチさせ青ぞらをどこまでも翔けて行く鷹を見付けてははねあがって手をたたいてみんなに知らせました。
 けれどもあんまり子供らが虔十をばかにして笑うものですから虔十はだんだん笑わないふりをするようになりました。
 風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るときなどは虔十はもううれしくてうれしくてひとりでに笑えて仕方ないのを、無理やり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながらいつまでもそのぶなの木を見上げて立っているのでした。
 時にはその大きくあいた口の横わきをさも痒いようなふりをして指でこすりながらはあはあ息だけで笑いました。

宮沢賢治『虔十公園林』(童話集『新編 風の又三郎』)新潮社,1989

「ああそうそう、ありました、ありました。その虔十という人は少し足りないと私らは思っていたのです。いつでもはあはあ笑っている人でした。毎日丁度この辺に立って私らの遊ぶのを見ていたのです。この杉もみんなその人が植えたのだそうです。ああ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。ただどこまでも十力の作用は不思議です。ここはいつまでも子供たちの美しい公園林です。どうでしょう。ここに虔十公園林と名をつけていつまでもこの通り保存するようにしては。」

同上

 子供の頃には何の偏見もなかった。変わっている人を変わっているとは思わず、ただそういう人なのだと思っていた。普通の子も知的障害児も何ら分け隔てることなく遊んでいた。会話がうまく成立しなくても、皆と同じことが出来なくても気にならなかった。その子のできることを見付けてそれを自分も楽しんでいた。一緒に遊んであげているという感覚などなかった。時にはからかうこともあったし、喧嘩だってした。知能が低いからからかったのではない、おかしいと思ったからからかったのだ。弱者の反抗が気に入らなかったのではない、痛みに怒りを感じたから喧嘩になったのだ。そこにいたわりや同情など一切ない。他の子と何も変わらない友達だった。当時を振り返り、あの子は楽しかったのだろうかと考えてみることもあるけれど、きっと楽しかったのだと思う。自分への慰めでも、思い出を守るためでもなく、後悔を恐れている訳でもなく、本当にそう思うのだ。彼は笑っていた。彼に嘘の笑顔を作れたとは思えない。
 今は知識がある、経験がある。人を分類し、人を区別せずにはいられない。そうしなければ頭を整理できない。老若男女、病人、障害者、地位、実績、収入、財産、無数のフィルターを通してふるい分け、無数の箱にしまう。時々取り出し、比較する、色を塗る、付箋を貼る、一部はより豪華で頑丈な箱にしまい直す。何事も何らかの基準で分けなければ情報がバラバラ錯綜して頭がパンクする。大事な人、関係を保つべき人、保険として付き合う人、どうでもいい人、忘れたい人、様々だ。醜いだろうか。酷いだろうか。仕方ないのだろうか。考え過ぎだろうか。
 坂道を登り切った時、曲がり角を曲がった時、ふと顔を上げた時、雲一つないスカッとした青空に心奪われることがある。本当はいつでもそういう心でいたい。

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