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【随想】太宰治『佳日』

けれども、私は先生からそのように駄目な男と思われて、かえって気が楽なのである。瀬川先生ほどの人物に、見込みのある男と思われては、かえって大いに窮屈でかなわないのではあるまいか。私は、どうせ、駄目な男と思われているのだから、先生に対して少しも気取る必要は無い。かえって私は、勝手気ままに振舞えるのである。その日、私は久しぶりで先生のお宅へお伺いして、大隅君の縁談を報告し、ついては一つ先生に媒妁の労をとっていただきたいという事を頗る無遠慮な口調でお願いした。先生は、そっぽを向いて、暫く黙って考えて居られたが、やがて、しぶしぶ首肯せられた。私は、ほっとした。もう大丈夫。

太宰治『佳日』(短編集『ろまん燈籠』)新潮社,1983

「喧嘩をしちゃいかん。どうも、同じクラスの者は大学を出てからも、仲の良いくせにつまらないところで張合って喧嘩をしたがる傾向がある。大隅君は、てれているんだよ。大隅君だって、小坂さんの御家庭を尊敬しているさ。君以上かも知れない。だから、なおさら、てれているんだよ。大隅君は、もう、いいとしだし、頭髪もそろそろ薄くなっているし、てれくさくって、どうしていいかわからない気持なんだろう。そこを察してやらなければいけない。」まことに、弟子を知ること師に如かずであると思った。「表現がまずいんだよ。どうしていいかわからなくなって、天下国家を論じて君を叱ってみたり、また十一時まで朝寝坊してみたり、さまざま工夫しているのだろうが、どうも、あれは昔から、感覚がいいくせに、表現のまずい男だった。いたわってやれよ。君ひとりをたのみにしているんだ。君は、やいているんだろう。」

同上

 幸福の平等を求めるのは傲慢なのだろう。誰かが幸福であることと自分が幸福であることは全然別の話だ。黙っていても与えられると思うな。何も言わなくても与えてくれると思うな。誰かが持っているものは自分も持っている筈だというのは勘違いだ。何の保証も無い。何も当てにならない。あなたの世界にはあなたしかいない。

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