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【随想】太宰治『不審庵』

所謂理想主義者は、その実行に当ってとかく不器用なもののようであるが、黄村先生のように何事も志と違って、具合いが悪く、へまな失敗ばかり演ずるお方も少い。案ずるに先生はこのたびの茶会に於いて、かの千利休の遺訓と称せられる「茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて、飲むばかりなるものと知るべし」という歌の心を実際に顕現して見せようと計ったのであろう。ふんどし一つのお姿も、利休七ヶ条の中の、
 一、夏は涼しく、
 一、冬はあたたかに、
 などというところから暗示を得て、殊更に涼しい形を装って見せたのかも知れないが、さまざまの手違いから、たいへんな茶会になってしまって、お気の毒な事であった。

太宰治『不審庵』(短編集『津軽通信』)新潮社,1982

 世の中何事にせよ所詮は同じ人間のやっている事、他人にやれて自分にやれない道理は無い。その出来の程度に差はあれどやれない事はない。取り敢えずやってみればいい。得手不得手はやってみないと分からない、これは本当だ。プロは遙かな高みにいる自分とは別種の生物のように見えるけれど、なんてことは無い、彼らも同じ場所から始めた。歩き続けて登り続けて気付けば雲の上。でもそこは時間と努力の継続により誰でも到達し得る場所だ。尊敬はすれど恐れる必要はない。誰だって出来る、そう信じていい。信じてはいけない理由など無い。まずはやってみよう。上手く出来ないのは当然、練習するから上手くなる。何事もそう。才能の差など努力の差に較べたら微々たるものなのだから。偉業とは全て後世の評価だ。自身を偉人と思っている者など居ない、居たとしたらそいつは唯の阿呆だから相手にしなくてよい。まずは模倣する、模倣を続ける内に疑問が湧く、改善点が見えてくる、独創性が発生する、そうしていつしかオリジナルと呼ばれるようになる。オリジナルには価値がある。この世に完全無欠のコピーなど有り得ない以上オリジナルはいつでも唯一つなのだから。価値があるのなら必ず誰かがそれに気付く。幸か不幸か人の目の届かぬ場所など無い。時間は掛かっても、世に訴え続けたならばいつか必ず誰かが気付く。この世はそういうことになっている。負けても無視されても馬鹿にされても、Nevermind。大胆になれ、雑になれ、自分を大事にするな、適当でいい、思った通りやればいい。Nevermind、涅槃に行くにはまだまだ早い。

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