見出し画像

【随想】宮沢賢治『クンねずみ』

 天井うら街一番地、ツェ氏は昨夜行衛不明となりたり。本社のいちはやく探知するところによればツェ氏は数日前よりはりがねせい、ねずみとり氏と交際を結び居りしが一昨夜に至りて両氏の間に多少感情の衝突ありたるものの如し。台所街四番地ネ氏の談によれば昨夜もツェ氏は、はりがねせい、ねずみとり氏を訪問したるが如しと。尚床下通二十九番地ポ氏は、昨夜深更より今朝にかけて、ツェ氏並にはりがねせい、ねずみとり氏の、烈しき争論、時に格闘の声を聞きたりと。以上を綜合するに、本事件には、はりがねせい、ねずみとり氏、最も深き関係を有するが如し。本社は更に深く事件の真相を探知の上、大にはりがねせい、ねずみとり氏に筆誅を加えんと欲す、と。ははあ、ふん、これはもう疑もない。ツェのやつめ、ねずみとりに喰われたんだ。おもしろい。

宮沢賢治『クンねずみ』(童話集『新編 風の又三郎』)新潮社,1989

「そこで、その、世界文明のシンポハッタツカイリョウカイゼンがテイタイすると、政治は勿論ケイザイ、ノウギョウ、ジツギョウ、コウギョウ、キョウイクビジュツそれからチョウコク、カイガ、それからブンガク、シバイ、ええとエンゲキ、ゲイジュツ、ゴラク、そのほかタイイクなどが、ハッハッハ、大へんそのどうもわるくなるね。」テねずみはむつかしい言をあまり沢山云ったのでもう愉快でたまらないようでした。クンねずみはそれが又無暗にしゃくにさわって、「エン、エン」と聞えないようにそしてできるだけ高くせきばらいをやってにぎりこぶしをかためました。

同上

 気取り、真似、つもり。即ち自分は○○である、○○であると思い込む。それで果たしてそうなるか。なる訳が無い。猫がどれだけ自分が鳥であると信じ込もうが決して飛ぶことはできない。願望と現実は違う。何かのフリをしている者、それが決して本物ではないことは、皆分かっている。分かっているのに、気に入らない。フリをしている者が、万が一奇跡的な作用により本物になってしまう可能性を予感するから、気に入らない。自分は偽物であると明言して真似をする者については、笑える、許せる、気にならない。しかし自分を本物だと思っている偽物のことは、笑えない、許せない、気に入らない。
 人はいつでも何かになりたがっている。願うとは、なろうとすることだ。願いが消えることはない。人の成功を許せない。何故だ。誰かの願いが叶う度に、自分の願いが叶っていないと思い知るからか。偉そうにしている人を許せない。何故だ。偉そうなのは満たされているからだと考えてしまうからか。強そうな人を許せない。何故だ。強いのは恵まれているからだと経験が教えるからか。
 許せないとは何だ。何が許せないのだ。許すも許さないもないだろうに。許すとは何だ。何をされたというのだ。嫉妬、焦り、不安、心を暗くする全ての要素を誰かになすりつけ真っ黒になったその人を倒せば気分が晴れるとでも思っているのか。何かになろうとする気持ちは、何かになれない絶望を生む。何かになろうとする気持ちは、何かになれるという希望を生む。絶望も、希望も、生んだのは己自身だ。自分が生んだものに苦しめられるなんて、馬鹿々々しい、でもそれが生きるということだ。願いを生み、願いに苦しみ、願いに導かれ、歩みを進める。なろう、なろう、明日はなろう。きっとなろう。そうなろう。

この記事が参加している募集

素晴らしいことです素晴らしいことです