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【随想】宮沢賢治『山男の四月』

 山男は仰向けになって、碧いああおい空をながめました。お日さまは赤と黄金でぶちぶちのやまなしのよう、かれくさのいいにおいがそこらを流れ、すぐうしろの山脈では、雪がこんこんと白い後光をだしているのでした。
(飴というものはうまいものだ。天道は飴をうんとこさえているが、なかなかおれにはくれない。)
 山男がこんなことをぼんやり考えていますと、その澄み切った碧いそらをふわふわうるんだ雲が、あてもなく東の方へ飛んで行きました。そこで山男は、のどの遠くの方を、ごろごろならしながら、また考えました。
(ぜんたい雲というものは、風のぐあいで、行ったり来たりぽかっと無くなってみたり、俄かにまたでてきたりするもんだ。そこで雲助とこういうのだ。)

宮沢賢治『山男の四月』(童話集『注文の多い料理店』)新潮社,1990

 信じてみよう。騙されたとは思わない、ではなく、騙した者を敢えて信頼する、でもなく、今目の前にある現実、その手触りを信じてみよう。それぞれの自己愛が過剰に肥大して衝突を繰り返しているこんな状況だからこそ、やはり信じるしかないのだと痛感する。疑うよりも信じること、信じて触れること、これより大切なことはない。何でもいい。何だって同じだ。愚直でいい、不器用と呼べ、敗残者、出来損ない、欠陥品、どうとでも言いたければ言え、馬鹿を見てやろうじゃないか、馬鹿になってやろうじゃないか。信じないことこそが何より空しいのだから。

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