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【随想】宮沢賢治『気のいい火山弾』

 ベゴ石は、稜がなくて、丁度卵の両はじを、少しひらたくのばしたような形でした。そして、ななめに二本の石の帯のようなものが、からだを巻いてありました。非常に、たちがよくて、一ぺんも怒ったことがないのでした。
 それですから、深い霧がこめて、空も山も向うの野原もなんにも見えず退くつな日は、稜のある石どもは、みんな、ベゴ石をからかって遊びました。
「ベゴさん。今日は。おなかの痛いのは、なおったかい。」
「ありがとう。僕は、おなかが痛くなかったよ。」とベゴ石は、霧の中でしずかに云いました。
「アァハハハハ。アァハハハハハ。」稜のある石は、みんな一度に笑いました。
「ベゴさん。こんちは。ゆうべは、ふくろうがお前さんに、とうがらしを持って来てやったかい。」
「いいや。ふくろうは、昨夜、こっちへ来なかったようだよ。」
「アァハハハハ。アァハハハハハ。」稜のある石は、もう大笑いです。
「ベゴさん。今日は。昨日の夕方、霧の中で、野馬がお前さんに小便をかけたろう。気の毒だったね。」
「ありがとう。おかげで、そんな目には、あわなかったよ。」
「アァハハハハ。アァハハハハハ。」みんな大笑いです。
「ベゴさん。今日は。今度新らしい法律が出てね、まるいものや、まるいようなものは、みんな卵のように、パチンと割ってしまうそうだよ。お前さんも早く逃げたらどうだい。」
「ありがとう。僕は、まんまる大将のお日さんと一しょに、パチンと割られるよ。」
「アァハハハハ。アァハハハハハ。どうも馬鹿で手がつけられない。」

宮沢賢治『気のいい火山弾』(童話集『注文の多い料理店』)新潮社,1990

 あれもこれも拍動している。時計の針が刻むように拍動している。エネルギーは決して固定されることはない、ゆっくりと確実にその総量を減少させていくだけ。あらゆる拍動は相似であると言ったら驚くだろうか。小さな生命から星の輝きまで、あらゆるものは明滅の拍動を繰り返し、次第々々に減衰していく、そして止まり巨大な氷に変わる。笑い顔も拍動している、泣き顔も拍動している。小川のせせらぎも、海流の上下運動も、この真っ赤なポンプも。

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