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【随想】芥川龍之介『続西方の人』

 クリストは「万人の鏡」である。「万人の鏡」と云う意味は万人のクリストに傚えと云うのではない。たった一人のクリストの中に万人の彼等自身を発見するからである。わたしはわたしのクリストを描き、雑誌の締め切日の迫った為にペンを抛たなければならなかった。今は多少閑のある為にもう一度わたしのクリストを描き加えたいと思っている。誰もわたしの書いたものなどに、――殊にクリストを描いたものなどに興味を感ずるものはないであろう。しかしわたしは四福音書の中にまざまざとわたしに呼びかけているクリストの姿を感じている。わたしのクリストを描き加えるのもわたし自身にはやめることは出来ない。

芥川龍之介『続西方の人』(短編集『侏儒の言葉・西方の人』)新潮社,1968

 クリストの最も愛したのは目ざましい彼のジャアナリズムである。若し他のものを愛したとすれば、彼は大きい無花果のかげに年とった予言者になっていたであろう。

同上

「一人の外に善者はなし、即ち神なり」――それは彼の心の中を正直に語ったものだったであろう。しかしクリストは彼自身も「善き者」でないことを知りながら、詩的正義の為に戦いつづけた。この確信は事実となったものの、勿論彼の虚栄心である。クリストも亦あらゆるクリストたちのようにいつも未来を夢みていた超阿呆の一人だった。若し超人と云う言葉に対して超阿呆と云う言葉を造るとすれば、………

同上

弟子たちの足さえ洗ってやったクリストは勿論マリアの足もとにひれ伏したかったことであろう。しかし彼の弟子たちはこの時も彼を理解しなかった。
「お前たちはもう綺麗になった。」
 それは彼の謙遜の中に死後に勝ち誇る彼の希望(或は彼の虚栄心)の一つに溶け合った言葉である。クリストは事実上逆説的にも正にこの瞬間には彼等に劣っていると同時に彼等に百倍するほどまさっていた。

同上

 クリストは彼の弟子たちに「わたしは誰か?」と問いかけている。この問に答えることは困難ではない。彼はジャアナリストであると共にジャアナリズムの中の人物――或は「譬喩」と呼ばれている短篇小説の作者だったと共に「新約全書」と呼ばれている小説的伝記の主人公だったのである。我々は大勢のクリストたちの中にもこう云う事実を発見するであろう。クリストも彼の一生を彼の作品の索引につけずにはいられない一人だった。

同上

エンドロールを逆再生して興醒めした
人生の終わり方を知りながら生きるのは辛い
いつか必ず来るその時、
自ら命を絶つことで予言を完成させよう
だからそれまでは生きてみよう

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