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【随想】太宰治『皮膚と心』

プロステチウト、そう言おうと思っていたのでございます。女が永遠に口に出して言ってはいけない言葉。そうして一度は、必ず、それの思いに悩まされる言葉。まるっきり誇を失ったとき、女は、必ずそれを思う。私は、こんな吹出物して、心まで鬼になってしまっているのだな、と実状が薄ぼんやり判って来て、私が今まで、おたふく、おたふくと言って、すべてに自信が無い態を装っていたが、けれども、やはり自分の皮膚だけを、それだけは、こっそり、いとおしみ、それが唯一のプライドだったのだということを、いま知らされ、私の自負していた謙譲だの、つつましさだの、忍従だのも、案外あてにならない贋物で、内実は私も知覚、感触の一喜一憂だけで、めくらのように生きていたあわれな女だったのだと気附いて、知覚、感触が、どんなに鋭敏だっても、それは動物的なものなのだ、ちっとも叡智と関係ない。全く、愚鈍な白痴でしか無いのだ、とはっきり自身を知りました。

太宰治『皮膚と心』(短編集『きりぎりす』)新潮社,1974

 ほんの些細な不快感が際限無く肥大していく。忘れよう無視しようとする程にいよいよ存在感を増していく。自分しか覚えていないであろう過去の失態、自分さえ忘れてしまえば永遠にこの世から消え去ってしまう筈の記憶が、ふとした拍子で何度でも蘇ってくる、そんな苛立ちによく似ている。こいつを片付けたい、こいつが居なくならないと先には進めない、頭の片隅に居続けてずっと小さな邪魔をしてくる。脳内に居る己のアバターに機関銃を持たせて邪魔者を蜂の巣にしてみる、ダメだ、残骸がまだ残っている。ロードローラーで轢き潰し、ペラペラになったそいつを脳外に放り投げる。これでどうだ、ダメだ、ヒラリと舞い戻ってくる。刀で切り刻む、細切れになったそいつを犬に食わせる。ダメだ、犬も食わない。自由に記憶出来るより自由に忘却出来る方がどれだけいいか。覚えておきたい事よりも忘れてしまいたい事の方がずっと多い。知りたい事よりも知りたくない事の方がはるかに多い。生きるほどに苦しくなるのなら、この人生は一体何なんだ。生まれて来た、唯それだけで罪なのか。シンプルになりたい。

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