信仰に生きることの意義を、今こそ見つめ直すべきだろう。個人が社会から遊離した現代は、誰も彼も即席の快感で不安を誤魔化している。或いは集合的無意識が産み出した“正義”というルールに身を委ねて、孤独な生物の本質から目を背け、ひたすらに思考放棄している。いや、むしろ思考から逃避している。信仰とは価値観であり、世界の形である。信仰は人に影を与え、即ち人を立体化する。人は画一的な平面世界から立ち上がることで、初めて世界の本当の姿を認識できる。信仰とは、正解を示すものではない。逆に、間違いに気付かせて、自分という存在に疑問を抱かせるものである。自分とは何か、信じるとは何か、それらの疑問と真剣に向き合い、自分なりに答えを創り出すこと、それが本物の自立である。自立して漸くヒトは人になる。信仰という偏見を持たず、世界をただ与えられたままに受けとることは、自己の喪失に他ならないと、現代人は気付かねばならない。信仰が無くても、時を過ごせてしまう、生きている気になれてしまう、そんな現代こそ、信仰が必要だ。信仰に生きる意義を、取り戻すべきだ。