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【随想】太宰治『雪の夜の話』

白い雪道に白い新聞包を見つける事はひどくむずかしい上に、雪がやまず降り積り、吉祥寺の駅ちかくまで引返して行ったのですが、石ころ一つ見あたりませんでした。溜息をついて傘を持ち直し、暗い夜空を見上げたら、雪が百万の蛍のように乱れ狂って舞っていました。きれいだなあ、と思いました。道の両側の樹々は、雪をかぶって重そうに枝を垂れ時々ためいきをつくように幽かに身動きをして、まるで、なんだか、おとぎばなしの世界にいるような気持になって私は、スルメの事をわすれました。はっと妙案が胸に浮びました。この美しい雪景色を、お嫂さんに持って行ってあげよう。スルメなんかより、どんなによいお土産か知れやしない。たべものなんかにこだわるのは、いやしい事だ。本当に、はずかしい事だ。

太宰治『雪の夜の話』(短編集『ろまん燈籠』)新潮社,1983

 よく冷えた日の雪は大きくて軽いので、ひらひらゆらゆらと自然落下してきます。肩に落ちてもしばらくふわりと佇んでいて、やがてすうっと透明な水に変わり外套に染み込むように消えてしまいます。消えてしまう前に体をぶるぶる揺らすと、失礼しましたと優雅に去って行きます。雪は雅なのです。針の山のような蜘蛛の巣網のような結晶は、自由で且つ規則的な柱状節理に似た自然の意思を思わせます。どうしてこの星はこんなに不思議で美しいのでしょうか。それとも全部人の中にある美意識が作り出している幻なのでしょうか。雪は真っ暗な夜にもやっぱり白いのです。白は光の集合だと聞きます。透明は光の解散だと聞きます。雪は光たちが集まるステーションなのでしょう。雪のステーションに集合した後、この眼に飛び込んで来るのです。でも痛くありません。眩しくもありません。雪からやって来てこの眼に静かに到着して、その後光たちは何処へ行くのでしょう。水晶体が捕らえるのでしょうか。脳に溶けるのでしょうか。分かりません。分からないことは怖いことですが、光の行く末については怖くありません。なんだか知らない方が安心なのです。

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