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【随想】芥川龍之介『あばばばば』

「朝日を二つくれ給え」
「はい」
 女の返事は羞かしそうである。のみならず出したのも朝日ではない。二つとも箱の裏側に旭日旗を描いた三笠である。保吉は思わず煙草から女の顔へ目を移した。同時に又女の鼻の下に長い猫の髭を想像した。
「朝日を、――こりゃ朝日じゃない」
「あら、ほんとうに。――どうもすみません」
 猫――いや、女は赤い顔をした。この瞬間の感情の変化は正真正銘に娘じみている。それも当世のお嬢さんではない。五六年来迹を絶った硯友社趣味の娘である。保吉はばら銭を探りながら、「たけくらべ」、乙鳥口の風呂敷包み、燕子花、両国、鏑木清方、――その外いろいろのものを思い出した。

芥川龍之介『あばばばば』(短編集『戯作三昧・一塊の土』)新潮社,1968

「虫の湧いたやつを飲ませると、子供などは腹を痛めるしね。(彼は或避暑地の貸し間にたった一人暮らしている。)いや、子供ばかりじゃない。家内も一度ひどい目に遇ったことがある。(勿論妻などを持ったことはない。)何しろ用心に越したことはないんだから。……」
 保吉はふと口をとざした。女は前掛けに手を拭きながら、当惑そうに彼を眺めている。
「どうも見えないようでございますが」
 女の目はおどおどしている。口もとも無理に微笑している。殊に滑稽に見えたのは鼻も亦つぶつぶ汗をかいている。保吉は女と目を合せた刹那に突然悪魔の乗り移るのを感じた。この女は云わば含羞草である。一定の刺戟を与えさえすれば、必ず彼の思う通りの反応を呈するのに違いない。しかも刺戟は簡単である。じっと顔を見つめても好い。或は又指先にさわっても好い。女はきっとその刺戟に保吉の暗示を受けとるであろう。受けとった暗示をどうするかは勿論未知の問題である。しかし幸いに反撥しなければ、――いや、猫は飼っても好い。が、猫に似た女の為に魂を悪魔に売り渡すのはどうも少し考えものである。保吉は吸いかけた煙草と一しょに、乗り移った悪魔を抛り出した。不意を食った悪魔はとんぼ返る拍子に小僧の鼻の穴へ飛びこんだのであろう。小僧は首を縮めるが早いか、つづけさまに大きい嚔をした。
「じゃ仕かたがない。Droste を一つくれ給え」
 保吉は苦笑を浮かべたまま、ポケットのばら銭を探り出した。

同上

 すると二月の末の或夜、学校の英吉利語講演会をやっと切り上げた保吉は生暖い南風に吹かれながら、格別買い物をする気もなしにふとこの店の前を通りかかった。店には電燈のともった中に西洋酒の罎や缶詰めなどがきらびやかに並んでいる。これは勿論不思議ではない。しかしふと気がついて見ると、店の前には女が一人、両手に赤子を抱えたまま、多愛もないことをしゃべっている。保吉は店から往来へさした、幅の広い電燈の光りに忽ちその若い母の誰であるかを発見した。
「あばばばばばば、ばあ!」
 女は店の前を歩き歩き、面白そうに赤子をあやしている。それが赤子を揺り上げる拍子に偶然保吉と目を合わした。保吉は咄嗟に女の目の逡巡する様子を想像した。それから夜目にも女の顔の赤くなる様子を想像した。しかし女は澄ましている。目も静かに頬笑んでいれば、顔も嬌羞などは浮べていない。のみならず意外な一瞬間の後、揺り上げた赤子へ目を落すと、人前も羞じずに繰り返した。
「あばばばばばば、ばあ!」
 保吉は女を後ろにしながら、我知らずにやにや笑い出した。女はもう「あの女」ではない。度胸の好い母の一人である。一たび子の為となったが最後、古来如何なる悪事をも犯した、恐ろしい「母」の一人である。

同上

 寧ろ裏切ってほしい。予測を、想像を、期待を、裏切ってほしい。イメージ通りに展開する世界に何の価値がある? 知っているものを知るだけなんて、唯の確認作業じゃないか。予定された道筋をトレース、そんなの三分で飽きる。飽きてはならない。好奇心を失ったら、人は人でなくなる。新しい認識を創り出す為に、人間には知性が与えられたのだから。未知の世界を、見せてくれ。魂に、破壊の喜びを。

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