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【随想】芥川龍之介『枯野抄』

 芭蕉はさっき、痰喘にかすれた声で、覚束ない遺言をした後は、半ば眼を見開いた儘、昏睡の状態にはいったらしい。うす痘痕のある顔は、顴骨ばかり露に瘦せ細って、皺に囲まれた脣にも、とうに血の気はなくなってしまった。殊に傷しいのはその眼の色で、これはぼんやりした光を浮べながら、まるで屋根の向うにある、際限ない寒空でも望むように、徒に遠い所を見やっている。「旅に病んでは夢は枯野をかけめぐる」――事によるとこの時、このとりとめのない視線の中には、三四日前に彼自身が、その辞世の句に詠じた通り、茫々とした枯野の暮色が、一痕の月の光もなく、夢のように漂ってでもいたのかも知れない。

芥川龍之介『枯野抄』(短編集『戯作三昧・一塊の土』)新潮社,1968

丈艸のこの安らかな心もちは、久しく芭蕉の人格的圧力の桎梏に、空しく屈していた彼の自由な精神が、その本来の力を以て、漸く手足を伸ばそうとする、解放の喜びだったのである。彼はこの恍惚たる悲しい喜びの中に、菩提樹の念珠をつまぐりながら、周囲にすすりなく門弟たちも、眼底を払って去った如く、脣頭にかすかな笑を浮べて、恭しく臨終の芭蕉に礼拝した。――

同上

 偉大過ぎる存在の側にいる者の苦しみに、同情出来る者は少ない。太陽ははるか遠方にあるからこそ、地球はその恩恵を享受できる。もし今よりほんの少しでも近付けば、たちまち燃やし尽くされるだろう。深すぎる闇で眼は力を失うように、眩すぎる輝きもまた力を奪う。深淵の闇から脱した者と満遍の光に陰を得た者とは、同じ喜びを味わうのではなかろうか。汚れの無い人生を歩んでいる人は、常に人生が汚れる恐怖に苛まれている。完璧を目指している人は、それが永遠に手に入らない焦燥に苛まれている。傷は、解放である。或偉大が消え去る時、側にいた者だけが知る、顕らかな悲しみと、潜んでいる喜びと、二つある。

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