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【随想】太宰治『十五年間』

 戦時日本の新聞の全紙面に於いて、一つとして信じられるような記事は無かったが、(しかし、私たちはそれを無理に信じて、死ぬつもりでいた。親が破産しかかって、せっぱつまり、見えすいたつらい嘘をついている時、子供がそれをすっぱ抜けるか。運命窮まると観じて黙って共に討死さ。)たしかに全部、苦しい言いつくろいの記事ばかりであったが、しかし、それでも、嘘でない記事が毎日、紙面の片隅に小さく載っていた。曰く、死亡広告である。羽左衛門が疎開先で死んだという小さい記事は嘘でなかった。

太宰治『十五年間』(短編集『グッド・バイ』)新潮社,1972

 私は、やはり、「文化」というものを全然知らない、頭の悪い津軽の百姓でしか無いのかも知れない。雪靴をはいて、雪路を歩いている私の姿は、まさに田舎者そのものである。しかし、私はこれからこそ、この田舎者の要領の悪さ、拙劣さ、のみ込みの鈍さ、単純な疑問でもって、押し通してみたいと思っている。いまの私が、自身にたよるところがありとすれば、ただその「津軽の百姓」の一点である。

同上

 嘘を嘘と分かっていながら、諦めでも妥協でもない純真な心で信じることは、可能である。それが真実であるかどうかは問題ではない、そういう価値がこの世には確かにある。真も偽も実も虚も科学も魔法も理も情も力も技も全部が束になっても敵わない、そういう現象がある。

 青く揺らめく生命の焔。白く輝く無限の霧。直線は球面を滑り己に還るように、視線の光はやがて自分を照らす。
こんな感覚がそれに近い気がする。

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素晴らしいことです素晴らしいことです