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【随想】太宰治『千代女』

小説というものは、どうしてこんなに、人の秘密の悪事ばかりを書いているのでしょう。私は、みだらな空想をする、不潔な女になりました。いまこそ私は、いつか叔父さんに教えられたように、私の見た事、感じた事をありのままに書いて神様にお詫びしたいとも思うのですが、私には、その勇気がありません。いいえ、才能が無いのです。それこそ頭に錆びた鍋でも被っているような、とってもやり切れない気持だけです。私には、何も書けません。

太宰治『千代女』(短編集『きりぎりす』)新潮社,1974

 神童などと呼んでくれるな。たまたま上手く出来たばかりに、大袈裟に褒められ気分を良くして調子に乗り、その気になれば誰でも出来るような簡単事を、人より先に出来ただけに過ぎぬと気付かず得意になって繰り返し、ひけらかし、結果得る称号、曰く優秀、曰く神童、実態は単なるおませ。子供が教わる事、子供が理解出来る事などたかが知れている。ただ人より早く興味を持ったり、たまたま幼少の経験が活きただけ、誰でも出来る事なのだ。
 高校生にもなるとそれぞれ固有の能力が花開き始める。本来知能に優れた者は小中の成績に関係なくその鋭い頭脳の閃きを見せるようになり、潜在的に高い身体能力を持っていた者はいよいよ肉体と精神が一致し始め常人離れした運動性能を発揮し出す。才能は困難な要求に対してこそその真価を見せる。一方生来の凡人であるのに神童と見誤られた者の惨めさといったらない。急に訪れる理想と現実の不一致、自身の無能を認める勇気は無く、フォアグラのようにぶくぶく太らされた自尊心が邪魔して殻を破れない、開き直れない、適当な所で妥協出来ない。ヒーローは、主役は、自分である筈だと、諦めきれない。それがどれだけ未来への前進を妨げていることか、視野を狭めていることか。
 子供時分に語った夢など全部嘘である。大体、子供に夢など語れる筈も無いのだ。世の中を何も知らないのにやりたい事もなりたいものも無いもんだ。そんなもの知らん。適当だ、誤魔化しだ、その場しのぎだ、無意味だ。馬鹿々々しい。信じるな、そんな言葉。何も考えちゃいないんだ。どうせ誰かが言ってた事を真似しただけだろう。どうでもいいんだよ、どうでもいいって事さえ分かっていないんだから。全部忘れてくれよ。神童なんかじゃなかったんだ。

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