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【随想】宮沢賢治『やまなし』

 二疋の蟹の子供らが青じろい水の底で話していました。
『クラムボンはわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『クラムボンは跳ねてわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』

宮沢賢治『やまなし』(童話集『新編 風の又三郎』)新潮社,1989

 なるほど、そこらの月のあかりの水の中は、やまなしのいい匂いでいっぱいでした。
 三疋はぼかぼか流れて行くやまなしのあとを追いました。
 その横あるきと、底の黒い三つの影法師が、合せて六つ踊るようにして、山なしの円い影を追いました。
 間もなく水はサラサラ鳴り、天井の波はいよいよ青い焰をあげ、やまなしは横になって木の枝にひっかかってとまり、その上には月光の虹がもかもか集まりました。

同上

 人間は時々、動物の行動に人間の言葉や感情を当てはめて遊ぶことがある。人間ならばその行動時はこんなことを考えている、だから動物もきっとそうだろうと、割と単純に信じている。実際動物は、もっと云えば生物は、みんな同じ祖先から進化した仲間なのだから、そうした一見無邪気な考えを、浅はかな思い込みであると簡単に片付けることはできない。何より言葉の通じぬ相手が、自身と同じことを考え、同じことを行うのは、単純に嬉しいものだ。似ていること、似せること、似せられること、共通することというのは、喜びを生む。全然別個に育った二人でも長い間共に暮らせば、どちらからともなく自然に言動が似通ってくるものだ。人が人に影響を及ぼす時、必ずしも互いに似てくるとは限らず、むしろ反対方向に離れていくことも全然有り得るのに、決まって似てくるのは不思議である。飼い犬と飼い主の顔が似ているように感じるのも、思い込みや勘違いなどではなく、実際似ているのである。種族の垣根を越えて似るのである。
 動物たちの会話を、考え方を、生活を、想像すること。これは、人間同士が他人のそれを想像するのと、実はそんなに変わらないのかも知れない。おとぎ話というのも決して荒唐無稽な夢物語ではないのかも知れない。生物は、皆似ている。

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