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【随想】太宰治『もの思う葦』①

 けれども私は、老人に就いて感心したことがひとつある。黄昏の銭湯の、流し場の隅でひとりこそこそやっている老人があった。観ると、そまつな日本剃刀で鬚を剃っているのだ。鏡もなしに、薄暗闇のなかで、落ちつき払ってやっているのだ。あのときだけは唸るほど感心した。何千回、何万回という経験が、この老人に鏡なしで手さぐりで顔の鬚をらくらくと剃ることを教えたのだ。こういう具合の経験の堆積には、私たち、逆立ちしたって負けである。
(『老年』)

太宰治『もの思う葦』新潮社,1980

 読者あるいは、諸作家の書簡集を読み、そこに作家の不用意きわまる素顔を発見したつもりで得々としているかも知れないが、彼等がそこでいみじくも、摑まされたものはこの作家もまた一日に三度三度のめしを食べた、あの作家もまた房事を好んだ、等々の平俗な生活記録にすぎない。すでに判り切ったことである。
(『書簡集』)

同上

 文章の中の、ここの箇所は切り捨てたらよいものか、それとも、このままのほうがよいものか、途方にくれた場合には、必ずその箇所を切り捨てなければいけない。いわんや、その箇所に何か書き加えるなど、もってのほかというべきであろう。
(『兵法』)

同上

 私は小学校のときも、中学校のときも、クラスの首席であった。高等学校へはいったら、三番に落ちた。私はわざと手段を講じてクラスの最下位にまで落ちた。大学へはいり、フランス語が下手で、屈辱の予感からほとんど学校へ出なかった。文学に於いても、私は、誰のあなどりも許すことが出来なかった。完全に私の敗北を意識したなら、私は文学をさえ、止すことが出来る。
(『Alles Oder Nichts』)

同上

 はじめから、空虚なくせに、にやにや笑う。「空虚のふり。」
(『ポオズ』)

同上

 なんだ、みんな同じことを言っていやがる。
(『ふと思う』)

同上

 斜に構えて他人を茶化して意見の揚げ足を取って敢えて大勢と真逆の事を言う者のことを、触れてはいけない真実を勇気を持って白日の下にさらすヒーローでありヒーローの発言は正義であり正解であり正確であると盲信している者、単なる自惚れ屋の恥知らずの皮肉屋とそんなつまらない人格を見抜けずそいつを神輿に乗せて大騒ぎする自我無き賛同者の群れに心底辟易する。的外れもいいところだ、勘違いも甚だしい。バカを集めて詭弁で騙して崇拝させて賛辞を送らせ金に換えて殿様気分で街を見下ろしている哀れなピエロ、そんなものに成りたいと願う子どもたち。どうなっているんだこの世の中は。

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