見出し画像

【随想】宮沢賢治『猫の事務所』

 軽便鉄道の停車場のちかくに、猫の第六事務所がありました。ここは主に、猫の歴史と地理をしらべるところでした。
 書記はみな、短い黒の繻子の服を着て、それに大へんみんなに尊敬されましたから、何かの都合で書記をやめるものがあると、そこらの若い猫は、どれもどれも、みんなそのあとへ入りたがってばたばたしました。
 けれども、この事務所の書記の数はいつもただ四人ときまっていましたから、その沢山の中で一番字がうまく詩の読めるものが、一人やっとえらばれるだけでした。
 事務長は大きな黒猫で、少しもうろくしてはいましたが、眼などは中に銅線が幾重も張ってあるかのように、じつに立派にできていました。
 さてその部下の
  一番書記は白猫でした、
  二番書記は虎猫でした、
  三番書記は三毛猫でした、
  四番書記は竈猫でした。
 竈猫というのは、これは生れ付きではありません。生れ付きは何猫でもいいのですが、夜かまどの中にはいってねむる癖があるために、いつでもからだが煤できたなく、殊に鼻と耳にはまっくろにすみがついて、何だか狸のような猫のことを云うのです。

宮沢賢治『猫の事務所』(童話集『新編 銀河鉄道の夜』)新潮社,1989

 動物も人間と同じ様に同族に対する仲間意識を持っているようだ。種族を超えて群れを作る動物はまずいないし、草食動物における肉食動物のような共通の天敵に対して明白な協力意思を持って共闘する姿も確認されない、少なくとも人間の眼にはせいぜい偶然同じ場所に居合わせたがゆえに同じ状況対処行動を取ったようにしか見えない。なぜ仲間意識は同族にしか芽生えないのか。人間も人間を色形、言語や文化によって同族か異種族かに分類するが、これもよく考えてみると不合理なことである。同じ人間である以上、多少の差はあれ必要な栄養素や住環境は殆ど変わらない。協力して生活すれば物資の独占は出来ないが直接的な攻撃による死傷の可能性を減らせるのだから、生物の本質であるところの生命維持という観点から見れば仲間と敵に分けるよりずっと合理的な筈だ。動物の仲間意識の形成要因については、それがあまりにも自然で当たり前のことである為に深く考えることはない。分かっているようで実は多くの謎に包まれている。

この記事が参加している募集

素晴らしいことです素晴らしいことです