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【随想】太宰治『親友交歓』

 とにかくそれは、見事な男であった。あっぱれな奴であった。好いところが一つもみじんも無かった。

太宰治『親友交歓』(短編集『ヴィヨンの妻』)新潮社,1950

 彼はぐっと一息に飲みほし、それからちょちょっと舌打ちをして、
「まむし焼酎に似ている」と言った。
 私はさらにまた注いでやりながら、
「でも、あんまりぐいぐいやると、あとで一時に酔いが出て来て、苦しくなるよ」
「へえ? おかど違いでしょう。俺は東京でサントリイを二本あけた事だってあるのだ。このウイスキイは、そうだな。六〇パーセントくらいかな? まあ、普通だ。たいして強くない」と言って、またぐいと飲みほす。なんの風情も無い。
 そうしてこんどは、彼が私に注いでくれて、それからまた彼自身の茶碗にもなみなみと一ぱい注いで、
「もう無い」と言った。
「ああ、そう」と私は上品なる社交家の如く、心得顔に気軽そうに立ち、またもや押入れからウイスキイを一本取り出し、栓をあける。
 彼は平然と首肯して、また飲む。

同上

 けれども、まだまだこれでおしまいでは無かったのである。さらに有終の美一点が附加せられた。まことに痛快とも、小気味よしとも言わんかた無い男であった。玄関まで彼を送って行き、いよいよわかれる時に、彼は私の耳元で烈しく、こう囁いた。
「威張るな!」

同上

 幼い頃から、怒りや恐怖があまり長続きするとふいに笑いに変わることがある。自分の怒り、相手の怒り、恐怖や悲しみも同じだが、ある時急にその場面を眺める第三者の視点へと変わる。相手は確かに自分に感情をぶつけている、それは分かるがまるで実感がない、心は平穏でさざ波一つ立たない。客観的に見るその光景がなんだか可笑しくてたまらない。そいつは人形だよ、人形相手に「黙ってないで何とか言え!」って、そりゃ無茶ってもんだろう。あんたは一体一人で何を興奮しているんだ、って笑ってしまう。勿論それは火に油を注ぐ結果になるのだけれど、燃え盛るほど尚更笑えてくるのだからタチが悪い。
 式典とか葬式とか、厳粛な雰囲気に心を合わせるのも苦手だ。過度な緊張に対する心理的な防御反応だろうって、もっともらしい理屈で納得することも出来るのだけれど、なんだかそれで片付けるには勿体ない。喜怒哀楽の根源がそこに潜んでいるような気がする。

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