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【随想】太宰治『 I can speak 』

 月が出ていたけれど、その弟の顔も、女工さんの顔も、はっきりとは見えなかった。姉の顔は、まるく、ほの白く、笑っているようである。弟の顔は、黒く、まだ幼い感じであった。I can speak というその酔漢の英語が、くるしいくらい私を撃った。はじめに言葉ありき。よろずのもの、これに拠りて成る。ふっと私は、忘れた歌を思い出したような気がした。たあいない風景ではあったが、けれども、私には忘れがたい。

太宰治『 I can speak 』(短編集『新樹の言葉』)新潮社,1982

 文字という記号無しに認識は成り立つのか、思考は可能なのか。これは勿論成立するし可能である。そうでなければ文字を使わぬ生物には認識も思考も無いことになってしまう。犬も猫も虫も魚も鳥もみんな何か考えているし、状況判断をしている。考える事をしないでこの星で生き残る事は出来ない、出来る筈がない。だから、文字に先立つ「言語」とは何か、これこそが問題である。言語、もっと動物に寄せるのなら言葉。言葉は、一定の音韻及びその発声、文字記号、概念とそれの説明を結びつけるもの、といった有形無形様々な形態を取り得るが、これこそ世界を世界たらしめる思考の根源である。例えば犬は文字を読めないのだろうか。犬は匂いと特定の個人を結びつける。形や色といった視覚情報或いは音という聴覚情報を特定の概念と対応させることも出来る。故に人が発する特定の音に反応して予め決められた行動を取ることも出来る。それは人が文字の種類や並びが持つ意味を理解することで「読む」という行為を為しているのと本質的に同じである。犬も、人のそれより程度が落ちるとはいえ「読む」ことが出来るのだ。人間は言葉を自身最大の発明であるかのように誇っているが、言葉(説明媒体)そのものはどんな生き物でも持っている。つまり、人間の最大の発明とは、言葉ではなく、文字であろう。文字は或る概念を誰に対しても同様に説明する手段であり、それは認識の共有を迅速且つ容易にした。人間が共同生活社会を他の生物よりも遙かに速く大きく発達させ得た理由は、共通の認識及び合意の形成能力が極めて優れていたが故に他者と協力して思考することでその速度、範囲及び深度をさながら並列コンピュータの如く何倍にも高めることが出来たのが最大の要因ではないだろうか。
 だとすれば今後、人間がどのような生物像を目指していくのかは分からないが、もしより高度な知能を求めるのならば、「思考のより密接な共有」が鍵となるだろう。そしてその土台となる技術は既に開発されている。言うまでも無くインターネットである。ネットを介して並列化された人間の思考とAIの高度な計算能力が、もはや一体と呼べるほどにリンクされた時、恐らくとてつもない規模の情報爆発が起き、世界は一足飛びにSF世界に近付くだろう。尤もこのテーマは何度でも再考を要する。この予測は仮である。

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