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【随想】太宰治『おさん』

「いっそ発狂しちゃったら、気が楽だ」
 と言いました。
「あたしも、そうよ」
「正しいひとは、苦しい筈が無い。つくづく僕は感心する事があるんだ。どうして、君たちは、そんなにまじめで、まっとうなんだろうね。世の中を立派に生きとおすように生れついた人と、そうでない人と、はじめからはっきり区別がついているんじゃないかしら」

太宰治『おさん』(短編集『ヴィヨンの妻』)新潮社,1950

 男のひとは、妻をいつも思っている事が道徳的だと感ちがいしているのではないでしょうか。他にすきな人が出来ても、おのれの妻を忘れないというのは、いい事だ、良心的だ、男はつねにそのようでなければならない、とでも思い込んでいるのではないでしょうか。そうして、他のひとを愛しはじめると、妻の前で憂鬱な溜息などついて見せて、道徳の煩悶とかをはじめて、おかげで妻のほうも、その夫の陰気くささに感染して、こっちも溜息、もし夫が平気で快活にしていたら、妻だって、地獄の思いをせずにすむのです。

同上

 人の悩みなど、その殆どはつまらないものだ、少なくとも聞かされる側にとっては。相手と同じ立場の自分自身、という架空の人間に同情する行為を共感だと勘違いしている。それは無意識に行われる。生命とは傲慢で自己中心的なものであるし、実際そうでなければならない。誰だって自分を最優先するということ、お互いにそれを理解していればこそ、他人を牽制する心が生まれ安全距離が保たれる。自分さえ生き残れればそれでいい、誰が何と言おうと生物とはそういうものだ。それは友情だの愛情だのとは全く別次元の話だ。見返りを求めない犠牲などない。どんなに誰かに尽くそうと思っても、結局は自分に尽くすことしかできない。これは言い訳やヤケクソや諦めではない、だから悲しいことでも虚しいことでもない。
 人間は誰もが誰をも殺し得る。一番弱い人間が一番強い人間を殺すことができる、それも割と容易に。相互不殺の契約、それが社会の正体だ。勿論、その縮図である家族も。己が生きるためには他人を生かさねばならない。それ故、人は他者のために生きることに意義と満足を見出すことができる。

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