神懸かり。意識のリミッターが外れた人間は、常識では考えられない力を発揮する。パニック状態の人間はとてつもない筋力を示すことがあるが、精神もまたトランス状態になると、所謂霊感を発揮することがある。通常、人間には、そんな事は有り得ないと無意識に掛けているブレーキがある。例えば質量保存の法則、無から有が生まれることは有り得ない。だがそうしたブレーキが取り払われ、この世界、現実を、常識とは全く違う解釈によって捉える事が可能になれば、世界の姿は今見えているものとは異なるものとなる。
生命とは遺伝子のプログラムに則った現象ではなく、生まれた時から存在する意志によって生きている。花が咲くのは条件が満たされた故の必然ではなく、その意志が咲きたいと望んだから咲くのだ。世界を構成するのは物質ではなく、存在を望む意志である。誰かが願うから、それはそこにあり、誰かに願われたから、それはそこにある。
科学で説明できない現象とは、科学という論理的な物差しでは測り得ない次元の現象なのだから、科学で説明しようという行為そのものが無意味である。それを理解するには、科学から離れなければならない。地球が消滅しても、太陽は何も変わらずそこにある。太陽を動かしたいのなら、地球に居てはいけないのだ。
不可思議な現象を非科学的だと無視する現代人より、現に起きた超常現象を、神の力という現実として受け容れていた過去の人間の方が、はるかに柔軟な知性がある。