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【随想】太宰治『作家の手帖』

 われ幼少の頃の話であるが、町のお祭礼などに曲馬団が来て小屋掛けを始める。悪童たちは待ち切れず、その小屋掛けの最中に押しかけて行ってテントの割れ目から小屋の内部を覗いて騒ぐ。私も、はにかみながら悪童たちの後について行って、おっかなびっくりテントの中を覗くのだ。努力して、そんな下品な態度を真似るのである。こら! とテントの中で曲馬団の者が呶鳴る。わあと喚声を揚げて子供たちは逃げる。私も真似をして、わあと、てれくさい思いで叫んで逃げる。曲馬団の者が追って来る。
「あんたはいい。あんたは、いいのです。」
 曲馬団の者はそう言って、私ひとりをつかまえて抱きかかえ、テントの中へ連れて帰って馬や熊や猿を見せてくれるのだが、私は少しもたのしくなかった。私は、あの悪童たちと一緒に追い散らされたかったのである。

太宰治『作家の手帖』(短編集『ろまん燈籠』)新潮社,1983

私は、いまこの井の頭公園の林の中で、一青年から頗る慇懃に煙草の火を求められた。しかもその青年は、あきらかに産業戦士である。私が、つい先刻、酒の店で、もっとこの人たちに対して尊敬の念を抱くべきであると厳粛に考えた、その当の産業戦士の一人である。その人から、私は数秒後には、ありがとう、すみません、という叮嚀なお礼を言われるにきまっているのだ。恐縮とか痛みいるなどの言葉もまだるっこい。私には、とても堪えられない事だ。この青年の、ありがとうというお礼に対して、私はなんと挨拶したらいいのか。さまざまの挨拶の言葉が小さいセルロイドの風車のように眼にもとまらぬ速さで、くるくると頭の中で廻転した。

同上

 素直に、真面目に、真摯に生きて、社会に貢献している人間を心から尊敬する。他人と共生している人間を尊敬する。見た目が冴えなくてもいい。不細工でもいい。結婚などしていなくてもいい。子供などいなくてもいい。間違うことがあってもいい。多少は嘘を付いていてもいい。卑怯なところがあってもいい。人の見ていない所ではだらしなくてもいい。人に知られたくない趣味があってもいい。安物が好きでもいい。味が分からなくてもいい。物の価値が分からなくてもいい。低俗な番組を見て笑っていてもいい。能力などどうでもいい。収入などどうでもいい。唯社会の一員としてそれなりに機能している人間を、みんな尊敬する。仕事をして、多少なりとも他人の役に立っている人間を、本気で尊敬する。そういう人は、必ず幾許かは歴史を紡いでいるのだから、尊敬する、尊敬しなければならない。これは皮肉ではない。決して馬鹿にしているのではない。他人を馬鹿に出来る訳がない。自分には何も出来ないのだから、何もかもが足りないのだから、欠けているどころか何も無いのだから、全く無用の存在なのだから、この宇宙や星や社会に何一つとして貢献していないのだから、ただ無意味に資源を消費しているだけなのだから。だからそうでない人を尊敬する。
 否定する。否定する。己をとにかく否定する。否定しなければならない。この狂った出来損ないの生物を否定しなければならない。ほんの少しでも譲歩してはならない。こんな失敗作を認めてはならない。肯定など、嘘だ、卑怯だ、誤魔化しだ。認めてはならない。認めたら、もう、本当に終わりだ。

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