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【随想】芥川龍之介『杜子春』

 或春の日暮です。
 唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。
 若者は名を杜子春といって、元は金持の息子でしたが、今は財産を費い尽して、その日の暮しにも困る位、憐な身分になっているのです。
 何しろその頃洛陽といえば、天下に並ぶもののない、繁昌を極めた都ですから、往来にはまだしっきりなく、人や車が通っていました。門一ぱいに当っている、油のような夕日の光の中に、老人のかぶった紗の帽子や、土耳古の女の金の耳環や、白馬に飾った色糸の手綱が、絶えず流れて行く容子は、まるで画のような美しさです。
 しかし杜子春は相変らず、門の壁に身を凭せて、ぼんやり空ばかり眺めていました。空には、もう細い月が、うらうらと靡いた霞の中に、まるで爪の痕かと思う程、かすかに白く浮んでいるのです。

芥川龍之介『杜子春』(短編集『蜘蛛の糸・杜子春』)新潮社,1968

 老人は杜子春の言葉を聞くと、急ににやにや笑い出しました。
「そうか。いや、お前は若い者に似合わず、感心に物のわかる男だ。ではこれからは貧乏をしても、安らかに暮して行くつもりか」
 杜子春はちょいとためらいました。が、すぐに思い切った眼を挙げると、訴えるように老人の顔を見ながら、
「それも今の私には出来ません。ですから私はあなたの弟子になって、仙術の修業をしたいと思うのです。いいえ、隠してはいけません。あなたは道徳の高い仙人でしょう。仙人でなければ、一夜の内に私を天下第一の大金持にすることは出来ない筈です。どうか私の先生になって、不思議な仙術を教えて下さい」
 老人は眉をひそめたまま、暫くは黙って、何事か考えているようでしたが、やがて又にっこり笑いながら、
「いかにもおれは峨眉山に棲んでいる、鉄冠子という仙人だ。始めお前の顔を見た時、どこか物わかりが好さそうだったから、二度まで大金持にしてやったのだが、それ程仙人になりたければ、おれの弟子にとり立ててやろう」と、快く願を容れてくれました。

同上

 その声に気がついて見ると、杜子春はやはり夕日を浴びて、洛陽の西の門の下に、ぼんやり佇んでいるのでした。霞んだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波、――すべてがまだ峨眉山へ、行かない前と同じことです。
「どうだな。おれの弟子になったところが、とても仙人にはなれはすまい」
 片目眇の老人は微笑を含みながら言いました。
「なれません。なれませんが、しかし私はなれなかったことも、反って嬉しい気がするのです」
 杜子春はまだ眼に涙を浮べたまま、思わず老人の手を握りました。
「いくら仙人になれたところが、私はあの地獄の森羅殿の前に、鞭を受けている父母を見ては、黙っている訳には行きません」
「もしお前が黙っていたら――」と鉄冠子は急に厳な顔になって、じっと杜子春を見つめました。
「もしお前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。――お前はもう仙人になりたいという望も持っていない。大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になったら好いと思うな」
「何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです」

同上

 或るものの価値は、他の或るものと引き換えにできるかどうかで分かる。一方を選ぶことで、もう一方が一生手に入らないとしたら、どちらを選ぶか。コーラとビール、うどんとそば、辛いものと苦いもの、赤いものと青いもの、家族と仕事、金と力、愛と金、金と命、力と命、仕事と命、家族と命、プライドと命。そう、命と引き換えにできるものは、かなり限られる。逆に言えば、本当に大切なものなど、殆ど無いという事だ。命より金をとる馬鹿はいない。命より力をとる馬鹿はいない。なんとなく大事だと思っているもの、その殆どが、実際はつまらなくてくだらなくて、大した価値の無いものである。命と引き換えにできるか。これを基準にすれば、人生に悩む事などほぼ無くなる。家族と命、迷わず家族を選べるのなら、生き方に迷う理由など無い。とにかく家族を大事にすればいい、それだけの事だ。主体性? そんなものはどうでもいい事だ。主体性と命、どっちが大切か、考えるまでもない。自己実現? それもどうでもいい事だ。自己実現と命、どっちが大切かなんて、考えるまでもない。
 命と引き換えにしても手に入れたいもの、守りたいもの、それだけをシンプルに追求すればいい。人生は、それだけでいい。

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