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【随想】太宰治『服装に就いて』

私は、衣食住に於いては吝嗇なので、百円以上も投じて洋服を整えるくらいなら、いっそわが身を断崖から怒濤めがけて投じたほうが、ましなような気がするのである。いちど、N氏の出版記念会の時、その時には、私には着ている丹前の他には、一枚の着物も無かったので、友人のY君から洋服、シャツ、ネクタイ、靴、靴下など全部を借りて身体に纏い、卑屈に笑いながら出席したのであるが、この時も、まことに評判が悪く、洋服とは珍らしいが、よくないね、似合わないよ、なんだって又、などと知人ことごとく感心しなかったようである。ついには洋服を貸してくれたY君が、どうも君のおかげで、僕の洋服まで評判が悪くなった。僕も、これから、その洋服を着て歩く気がしなくなった、と会場の隅で小声で私に不平をもらしたのである。たった一度の洋服姿も、このような始末であった。再び洋服を着る日は、いつの事であろうか、いまのところ百円を投じて新調する気もさらに無いし、甚だ遠いことではなかろうかと思っている。

太宰治『服装に就いて』(短編集『ろまん燈籠』)新潮社,1983

 引越す度に不要な衣類を処分するのだが、いざ新天地、あれも必要これも必要と買い足していつの間にやら元通り。これは不要だ、二度と買わん! 確かにそう思った、確信した、あの時の決意はなんだったのか。季節が変わる、シャツが要るな、一枚じゃ不安だから二枚、いや長雨で乾かないこともあるからな、三枚だ、三枚、これは必要だ、これは必要経費なのだ、仕方無いのだ。買う。タンスを開ける。思い出す。同じ様なシャツを同じ様な思考で買った過去を思い出す。数える程さえ着ていないシャツ、次の引越しで処分されるであろうシャツ。いや着るぞ、これから着るぞ、元は取るぞ、着たおしてやる、よれよれになるまで、汚れが落ちなくなるまで、ほつれ破れるまで。当然、達成した事はない。靴もそうだ。これは必要なんだ! 現実は、要らなかった。全然履かない。履いているのは、いつもの決まりの一足だけ。申し訳ない、金の問題じゃない、せっかく作られたのに使用されないまま捨てられていく靴達に申し訳ない。メーカーにも、デザイナーにも、申し訳ない。物を大切にしたい。でも、物を大切にする為には、物の価値を見極め、要不要を的確に判断する能力が必要だ。最初から高い物を買ってはいけないね、きっと後悔する。未熟な者に高価な物を買う資格は無い、なるほどその通りだ。

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