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【随想】太宰治『黄金風景』

 思い出した。ああ、と思わずうめいて、私は玄関の式台にしゃがんだまま、頭をたれて、その二十年まえ、のろくさかったひとりの女中に対しての私の悪行が、ひとつひとつ、はっきり思い出され、ほとんど座に耐えかねた。
「幸福ですか?」ふと顔をあげてそんな突拍子ない質問を発する私のかおは、たしかに罪人、被告、卑屈な笑いをさえ浮べていたと記憶する。

太宰治『黄金風景』(短編集『きりぎりす』)新潮社,1974

 うみぎしに出て、私は立止った。見よ、前方に平和の図がある。お慶親子三人、のどかに海に石の投げっこしては笑い興じている。声がここまで聞えて来る。
「なかなか」お巡りは、うんと力こめて石をほうって、「頭のよさそうな方じゃないか。あのひとは、いまに偉くなるぞ」
「そうですとも、そうですとも」お慶の誇らしげな高い声である。「あのかたは、お小さいときからひとり変って居られた。目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった」
 私は立ったまま泣いていた。けわしい興奮が、涙で、まるで気持よく溶け去ってしまうのだ。
 負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。

同上

 そうなのだ。自分で思うほど世界に憎まれてなどいないのだ。世界はこちらの事情など素知らぬ顔で、淡々と悠々と流れている。世界に問い掛け、訴え続けていたと思っていたその行為は、唯自問自答を繰り返していただけであった。己が創造し、己の想像に当て嵌め、己で満足していただけの事。不安や失望で心を満たしていたのだ。
 世界に敵意など無い。悪意など無い。勝手な期待、裏切りさえ妄想で、その実態は、一人芝居。素直になれ! 自惚れるな! 真っ直ぐに立ち、世界を見つめろ! そして信じろ! 今、ここに居るという事実を、喜べ!

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