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【随想】芥川龍之介『河童』①

僕は驚いてふり返りました。すると、――僕が河童と云うものを見たのは実にこの時が始めてだったのです。僕の後ろにある岩の上には画にある通りの河童が一匹、片手は白樺の幹を抱え、片手は目の上にかざしたなり、珍しそうに僕を見おろしていました。

芥川龍之介『河童』(短編集『河童・或阿呆の一生』)新潮社,1968

 僕はだんだん河童の使う日常の言葉を覚えて来ました。従って河童の風俗や習慣ものみこめるようになって来ました。その中でも一番不思議だったのは河童は我々人間の真面目に思うことを可笑しがる、同時に我々人間の可笑しがることを真面目に思う――こう云うとんちんかんな習慣です。たとえば我々人間は正義とか人道とか云うことを真面目に思う、しかし河童はそんなことを聞くと、腹をかかえて笑い出すのです。つまり彼等の滑稽と云う観念は我々の滑稽と云う観念と全然標準を異にしているのでしょう。

同上

 トックはよく河童の生活だの河童の芸術だのの話をしました。トックの信ずる所によれば、当り前の河童の生活位、莫迦げているものはありません。親子夫婦兄弟などと云うのは悉く互に苦しめ合うことを唯一の楽しみにして暮らしているのです。殊に家族制度と云うものは莫迦げている以上にも莫迦げているのです。トックは或時窓の外を指さし、「見給え。あの莫迦さ加減を!」と吐き出すように言いました。窓の外の往来にはまだ年の若い河童が一匹、両親らしい河童を始め、七八匹の雌雄の河童を頸のまわりへぶら下げながら、息も絶え絶えに歩いていました。しかし僕は年の若い河童の犠牲的精神に感心しましたから、反ってその健気さを褒め立てました。
「ふん、君はこの国でも市民になる資格を持っている。……時に君は社会主義者かね?」
 僕は勿論 qua(これは河童の使う言葉では「然り」と云う意味を現すのです)と答えました。
「では百人の凡人の為に甘んじて一人の天才を犠牲にすることも顧みない筈だ」
「では君は何主義者だ? 誰かトック君の信条は無政府主義だと言っていたが、……」
「僕か? 僕は超人(直訳すれば超河童です)だ」

同上

 クラバックは全身に情熱をこめ、戦うようにピアノを弾きつづけました。すると突然会場の中に神鳴りのように響渡ったのは「演奏禁止」と云う声です。僕はこの声にびっくりし、思わず後をふり返りました。声の主は紛れもない、一番後の席にいる身の丈抜群の巡査です。巡査は僕がふり向いた時、悠然と腰をおろしたまま、もう一度前よりもおお声に「演奏禁止」と怒鳴りました。それから、――
 それから先は大混乱です。「警官横暴!」「クラバック、弾け! 弾け!」「莫迦!」「畜生!」「ひっこめ!」「負けるな!」――こう云う声の湧き上った中に椅子は倒れる、プログラムは飛ぶ、おまけに誰が投げるのか、サイダアの空罎や石ころや嚙じりかけの胡瓜さえ降って来るのです。僕は呆っ気にとられましたから、トックにその理由を尋ねようとしました。が、トックも興奮したと見え、椅子の上に突っ立ちながら、「クラバック、弾け! 弾け!」と喚きつづけています。のみならずトックの雌の河童もいつの間に敵意を忘れたのか、「警官横暴」と叫んでいることは少しもトックに変りません。

同上

 僕等はぼんやり佇んだまま、トックの後ろ姿を見送っていました。僕等は――いや、「僕等」ではありません。学生のラップはいつの間にか往来のまん中に脚をひろげ、しっきりない自動車や人通りを股目金に覗いているのです。僕はこの河童も発狂したかと思い、驚いてラップを引き起しました。
「常談じゃない。何をしている?」
 しかしラップは目をこすりながら、意外にも落ち着いて返事をしました。
「いえ、余り憂鬱ですから、逆まに世の中を眺めて見たのです。けれどもやはり同じことですね」

同上

 狂人にはあの世が見えるらしい。それもはっきりと。それはそれは醜い世界で、目を焼くような原色の光が入り乱れ、海魚の腐臭とエーテルが混ざり合った耐えがたい悪臭に包まれており、時折生温い暴風が吹き荒れ、氷酢酸の雨が降り、かつて人間だったらしい蛙と蛇と鳥のキメラがそこら中で共喰いしているらしい。狂人、彼等はそんな世界を見つめながらも、必死に生への渇望を表現し続ける。何とどこまでも人間らしい人間だろう。こんなおぞましい世界に居て冷静を気取りあまつさえ人生を楽しむなどとほざいている自称人間たちよりも、はるかにはるかにはるかに人間らしい。

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