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【随想】芥川龍之介『猿蟹合戦』

 お伽噺しか知らない読者は、悲しい蟹の運命に同情の涙を落すかも知れない。しかし蟹の死は当然である。それを気の毒に思いなどするのは、婦女童幼のセンティメンタリズムに過ぎない。天下は蟹の死を是なりとした。現に死刑の行われた夜、判事、検事、弁護士、看守、死刑執行人、教誨師等は四十八時間熟睡したそうである。その上皆夢の中に、天国の門を見たそうである。天国は彼等の話によると、封建時代の城に似たデパアトメント・ストアらしい。

芥川龍之介『猿蟹合戦』(短編集『蜘蛛の糸・杜子春』)新潮社,1968

 天国や地獄がどんな場所か、正確には分からないが、大体は分かる。なぜなら、それは人が想像出来る範囲のものでしかないからである。全ては人の想像の所産なれば、想像を超えるものではない。想像も出来ない世界、それもまた、想像されている。想像出来る世界は認識出来る。想像出来ない世界は、認識出来ない、認識出来ない世界は、存在しないに等しい。我思う、故に我あり。この世界が素粒子であろうと、スピンであろうと、引斥力であろうと、波であろうと、重なりであろうと、或いは観測する意志であろうと、同じ事だ。それは要するに言葉であって、言葉は認識であり、想像だ。想像出来ない世界とは、言葉を超えた世界、認識を超えた世界の筈だ。そんな世界を存在させるには、人は人でなくならなければならない。そんな事は恐らく、不可能だ。恐らく、だが。

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