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【随想】宮沢賢治『蜘蛛となめくじと狸』

 二百疋の子供は百九十八疋まで蟻に連れて行かれたり、行衛不明になったり、赤痢にかかったりして死んでしまいました。けれども子供らは、どれもあんまりお互いに似ていましたので、親ぐもはすぐ忘れてしまいました。

宮沢賢治『蜘蛛となめくじと狸』(童話集『新編 風の又三郎』)新潮社,1989

「さあ、すもうをとりましょう。ハッハハ。」となめくじがもう立ちあがりました。かたつむりも仕方なく、
「私はどうも弱いのですから強く投げないで下さい。」と云いながら立ちあがりました。
「よっしょ。そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりましょう。ハッハハ。」
「もうつかれてだめです。」
「まあもう一ぺんやりましょうよ。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりましょう。ハッハハ。」
「もうだめです。」
「まあもう一ぺんやりましょうよ。ハッハハ。よっしょ、そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりましょう。ハッハハ。」
「もうだめ。」
「まあもう一ぺんやりましょうよ。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。「もう一ぺんやりましょう。ハッハハ。」
「もう死にます。さよなら。」
「まあもう一ぺんやりましょうよ。ハッハハ。さあ。お立ちなさい。起こしてあげましょう。よっしょ。そら。ヘッヘッヘ。」かたつむりは死んでしまいました。そこで銀色のなめくじはかたつむりをペロリと喰べてしまいました。

同上

「狸さま。こうひもじくては全く仕方ございません。もう死ぬだけでございます。」
 狸がきもののえりを掻き合せて云いました。
「そうじゃ。みんな往生じゃ。山猫大明神さまのおぼしめしどおりじゃ。な。なまねこ。なまねこ。」
 兎も一緒に念猫をとなえはじめました。
「なまねこ、なまねこ、なまねこ、なまねこ。」
 狸は兎の手をとってもっと自分の方へ引きよせました。
「なまねこ、なまねこ、みんな山猫さまのおぼしめしどおり、なまねこ、なまねこ。」
と云いながら兎の耳をかじりました。兎はびっくりして叫びました。
「あ痛っ。狸さん。ひどいじゃありませんか。」
 狸はむにゃむにゃ兎の耳をかみながら、
「なまねこ、なまねこ、みんな山猫さまのおぼしめしどおり。なまねこ。」と云いながら、とうとう兎の両方の耳をたべてしまいました。
 兎もそうきいていると、たいへんうれしくてボロボロ涙をこぼして云いました。
「なまねこ、なまねこ。ああありがたい、山猫さま。私のような悪いものでも助かりますなら耳の二つやそこらなんでもございませぬ。なまねこ。」

同上

 悪気は無い。彼にとってはそれが生きるということだ。騙すことも、暴力を振るうことも、逃げることも、食べることも、ただ生きているだけだ。正しい、正しくないは問題ではない。そんなことは考えもしない。彼の卑怯な振る舞いが彼の自由ならば、彼を捕らえ罰するのもまた自由。問題はそこだ。自分が自由である為に、相手もまた自由であるということを、認められるかどうかが問題だ。この世は我が儘を許さない。傲慢を許さない。因果応報。どんな現象であろうと、その本質は向平衡性、最大最小の原理。

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