【随想】芥川龍之介『歯車』①
自身の精神が崩壊する過程を冷静に観察している自分を更に観察している自分も居て、そこに恐怖や不安は無くて、それはそうなるべくしてなるんだと、寧ろ安堵に近い納得と満足を得ている自分が居る。だが、自分というものを意識する時、自分を他者として扱う何者かが居る筈だ。その何者かに、遂に出会ったことは無い。なぜなら、出会う為には、二人が出会っている光景を観察する新たな何者かが必要になるからで、まるで合わせ鏡のように観察者と観察対象が無限に増殖していくことになる。そんな無限には耐えられない