幸せなんていらない
幸せなんていらない。
こう書くと、不思議に思われる方が多いだろう。誰もが幸せを求めているし、歌の世界も幸せを願う曲であふれかえっているではないか。
でも、ぼくは子供のころに自分ではどうしようもできない苦しいことを潜り抜けてきたので(具体的なことは触れませんが)、あのことを思ったら今ある世界で十分だとおもったりする。振り返ってみると、あそこを潜り抜けてきたのだから、それだけでもたいしたものだ。だから幸せになりたいと思ったことはない。
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ここ数日、八百比丘尼(やおびくに)について考えている。
先日、鳥取県米子市にある粟島神社を訪ねたときに、偶然みつけた八百比丘尼終焉の地「静の岩屋」。
八百比丘尼は人魚の肉を食べてしまったために不老不死になってしまい、永遠に若いままだったそうだ。伝説によると、娘のまま800歳まで生きたといわれている。
永遠に若いまま生きれるなんて、すべてのひとがうらやましがると思うはず。しかし、実際はそういうものでもなかったらしい。
八百比丘尼は結婚し子供もできたが、いつまでたっても娘のままだった。時が流れ、夫は老いて、やがて亡くなった。そればかりか、子供たちも大人になり、やがて年老いて亡くなっていく。
周囲の人々も初めの頃は感心されたかもしれないが、次第にバケモノを見るような目に代わっていく。今だったら、ネットですぐにたたかれ、さらし者になっただろう。
八百比丘尼が哀しかったのは、周囲の目もさることながら、肉親にバケモノを見るような視線を浴びせられたことだろう。自分たちは老いて死んでいくのに、母親はいつまでも生娘のまま。母親に向けて呪いのことばを吐いたこともあったのではなかろうか。
八百比丘尼は何度も結婚を繰り返しては、すべての家族を一人でみとったという。何度も繰り返し繰り返し、八百比丘尼のこころに哀しみがのしかかったであろう。
ひとは哀しみの重さに耐えられなくなったときに壊れていく。
八百比丘尼は800歳まで耐えたのだから偉いとしかいいようがない。それでも積み重なった哀しみは、次第に八百比丘尼のこころを蝕んでいった。
ついに耐えきれなくなったのだろう。八百比丘尼はある決断を下す。
「じぶんはこれから断食をします。生きていたら鈴を鳴らすので、その鈴が聞こえなくなったら私が死んだと思ってください」
そして「静の岩屋」に入っていった。それが粟島神社裏手にある「静の岩屋」である。
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出雲神話では、ひとは死ぬと黄泉の国にいくとされていた。イザナギイザナミが国生みをした後に、イザナミが亡くなってしまい、黄泉の玄関口(黄泉比良坂)までイザナギがイザナミを探しに行く。
そこでイザナミは黄泉の神様に生き返るように頼んでみるといい、それまでけして中を覗いてはいけないと忠告する。
しかし、イザナギは心配になり、中を覗いてしまったために黄泉の軍団に追いかけられてしまう。
そこでおもうのだけど、イザナギがもし中を覗かず、ずっと待っていたらひょっとしてイザナミは蘇えったのではなかろうか。「黄泉がえり」ということばがあるように、昔の人は何らかのかたちで「黄泉がえり」を信じていたような形跡がある。
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出雲の神様、聞いていますか。
ぼくが毎日のように出雲の神様達のことをみなさんに伝えようとしているのは知っていますよね。
もし、もう一度、八百比丘尼がよみがえることができたら、お願いがあります(ぼくは基本的に神様にお願いをしないのもご存知ですよね)。
ぼくは幸せなんていりません。
そのかわりにぼくの幸せを八百比丘尼に少しだけ加えてもらえませんか。
そして、もう人魚の肉を食べることなく、平凡に暮らし、いつか愛する人々に囲まれて、惜しまれて亡くなるような、そんな人生を八百比丘尼に与えてください。
これからも出雲神話について語っていきますので、そこのところよろしくおたの申します。
初夏の夕方、涼しい風が吹きそよぐ、静の岩屋に鈴の音がチリンと鳴った気がした。おそらく気のせいだったのだろう。
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今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
よかったら粟島神社の裏手にある静の岩屋にもいらしてください。
鈴の音が聞こえるかもしれませんよ ♪
では、お待ちしています ♪
こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
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