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カタルシスともやもやの正体

12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日。

昭和の頃は毎年この時期になるとTV時代劇「忠臣蔵」が放送されていたように記憶している。

映画評論家の谷川建司は、忠臣蔵が愛されてきた理由としてカタルシスを挙げている。たとえば浅野内匠頭の切腹の際、無言であることを条件に切腹への立ちあいを許された片岡源五右衛門のエピソードのように、「口には出さなくとも分かってほしい」という強い願望と、「口には出さずともおまえの気持はよく分かっている」というエピソードを追体験することで、強いカタルシスを感じられるようにデザインされていることが忠臣蔵の魅力なのだとしている[9]。谷川はまた、高度経済成長期に忠臣蔵が人気があった理由として、四十七士の達成感をスクリーンを通じて共有することで、第二次大戦の敗戦でズタズタになった日本人のプライドの「再生」を確認することがあったのではないかと述べている

殺された吉良上野介(名君であったともいわれている)はちと気の毒であるが、勧善懲悪だからこそこの物語のカタルシスは成り立つ。

平成、令和になるにしたがって「忠臣蔵」はあまりTVで見かけなくなってしまった。ぼくは結構この物語が好きだったので、またTVでやってくれないかなと思ったりしている。「忠臣蔵」は遠くなりにけり。



先日、映画「THE FIRST SLAM DUNK」を観にいった。

公開前から何かと話題になっていたのでご存知の方も多いと思うが、賛否両論の意味がよく分かった(すいません、ここからはネタバレも含みます)。

ぼくは幸い仕事で日本にいなかったので、TV版「スラムダンク」をリアルタイムで見ていない。その後、ビデオもみていないので、映画の声優陣がTV版と異なることに違和感はなかった(TV版に慣れ親しんだ妻はやはり違和感があったという)。

仮に漫画「スラムダンク」の最大の山場となる山王工業戦だけを丁寧に描けばそれだけで相当なカタルシスを得たであろうし(漫画がすでにそうであった)、はじめ少しだけ慣れなかった高品質のCGもすべてが高評価につながったであろう。「鬼滅の刃 無限列車編」と同じくらい盛り上がったはず(と思いたい)。

しかし今回の映画は作者の井上雄彦さんが原作・脚本・監督も手掛けている。「スラムダンク」の後に「バガボンド」、「リアル」とカタルシスだけでは語れない傑作をものにしている作者が制作に大きくかかわっているとすれば、この映画をカタルシスだけのものにしたくなかった気持ちもよくわかる。

よって映画の主人公を桜木花道ではなく(もちろん主人公に変わりはないが)、宮城リョータにすることでよりストーリーに深みが出たと思う。ただそうすることで、漫画になれたファンは圧倒的なカタルシス(おそらくみんな山王戦にはそれを望んでいただろう)がちょっとだけ削がれたのでなかろうか。ぼくは個人的にそう感じ、それがぼくのもやもやの正体だった。

ちなみに、ぼくよりよほど正確にこの映画「スラムダンク」を批評されている方がいらっしゃるので、映画批評を読みたい方はこちらを参考にされたし。



さて、出雲神話である。突然、「スラムダンク」の検索でここにたどり着いた方はなぜに出雲神話と思うかもしれない(このエッセイは出雲神話にたどり着くことを基本にしているので、初めての方もうしわけありませぬ)。

出雲神話にスサノオのヤマタノオロチ退治の話が出てくる。地元では神楽のメインであり、最大の山場といっていい。

高天原を追放された須佐之男命(スサノオノミコト)は、出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(現・奥出雲町鳥上)に降り立った。箸が流れてきた川を上ると、美しい娘を間に老夫婦が泣いていた。その夫婦は大山津見神の子の足名椎命と手名椎命であり、娘は櫛名田比売(くしなだひめ)といった。
夫婦の娘は8人いたが、年に一度、高志から八俣遠呂智という8つの頭と8本の尾を持った巨大な怪物がやって来て娘を食べてしまう。今年も八俣遠呂智の来る時期が近付いたため、最後に残った末娘の櫛名田比売も食べられてしまうと泣いていた。

須佐之男命は、櫛名田比売との結婚を条件に八俣遠呂智退治を請け負った。まず、須佐之男命は神通力で櫛名田比売の形を変えて、歯の多い櫛にして自分の髪に挿した。そして、足名椎命と手名椎命に、7回絞った強い酒(八塩折之酒)を醸し、8つの門を作り、それぞれに酒を満たした酒桶を置くようにいった。準備をして待っていると八俣遠呂智がやって来て、8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み出した。八俣遠呂智が酔って寝てしまうと、須佐之男命は十拳剣で切り刻んだ。このとき、尾を切ると剣の刃が欠け、尾の中から大刀が出てきた。そしてこの大刀を天照御大神に献上した。これが「草那藝之大刀」(天叢雲剣)である。

八俣遠呂智を退治した須佐之男命は、櫛になった櫛名田比売と暮らす場所を求めて出雲の根之堅洲国(現・島根県安来市)の須賀の地へ行き、そこで「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁 」(八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を)と詠んだ。

古事記より

noteで以前ヤマタノオロチの記事を読んだことがあるが、誰の記事だか忘れたけれど(ほんとうにもうしわけない)、ヤマタノオロチは八股だから首は九首あったんじゃないかと疑問を呈される方がいた。

そうなるとこの話は大きく変わってくる。スサノオはひとつ切り損ねたことになる。そしてその一匹のオロチは今もこの国のどこかに潜んでいて、ときどき暴れだし、台風や地震を起こしている。すると、この物語のカタルシスは急速に失われ、不穏な空気だけが残ってしまうことになる。やはり物語にはちゃんとした終わりが必要なようだ。

スサノオが切り落としたヤマタノオロチは退治した跡が斐伊川になり、今は宍道湖に注がれている。



今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

オロチの最後の一匹は退治しましたので、ご安心を。

出雲にお越しの際はごゆっくりお楽しみください♪

それと、まだ映画「THE FIRST SLAM DUNK」をご覧になっていない方がいたら、ぜひご自分の目で確かめることをお薦めします。ぼくはとてもよかったと思います♪




こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。

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