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出雲大社の不思議 その1 -巨大神殿-

 島根はどこにあるのと問われて鳥取と間違えてしまうという人も、「出雲大社」は知っているという人、意外と多いですよね。

 それほど全国的にも有名な「出雲大社」ですが、実は地元に住んでいてもよくわからないことが多いのも事実です。そこで素人ながら、出雲大社について調べてみました。

 神話の国と言われる出雲。とりわけ神社が多いことでも有名ですが、その中でも最も有名な神社が「出雲大社」。

 主催神は「大国主命」。国造りの神様として有名であり、出雲神話の中でも最も有名な神様のひとりと言えるでしょう。

 主催神が国を造ったといわれるのだから、それはそれ相応の神社なのだろうと思うでしょう。まさにその通りなのです。

 驚くべきことに、昔々のそのまた昔、出雲大社はあの奈良の大仏殿、東大寺よりも大きいと言われていたそうです。

 「口遊(くちずさみ)」という平安時代中期の貴族の子供向けの教科書の中で当時の巨大三大建築物についての記述があります。

 「雲太、和二、京三」 

 第一位 出雲大社

 第二位 東大寺大仏殿

 第三位 京都御所

 奈良の東大寺大仏殿をご存じない方はいらっしゃらないでしょう。平安時代の出雲大社があの大きさを上回る高さであったといわれても、にわかに信じられないのももっともです。江戸時代の古典研究の第一人者であり、「古事記」の研究家でもあった本居宣長も同様ににわかに信じられないと疑問を呈しています。

 中古の出雲大社本殿は、平安時代末頃の平面図が残る。3本柱を金(カネ)の輪で縛るので「金輪造営図」と呼ばれるこの図を最初に紹介したのが宣長だ。 『玉勝間』巻13「同社(出雲大社)金輪の造営の図」に「出雲大社、神殿の高さ、上古のは三十二丈あり。中古には十六丈あり。今の世のは八丈也。古の時の図を、金輪(カナワ)の造営の図といひて、今も国造の家に伝へもたり、其図、左にしるすが如し。此図、千家国造の家なるを、写し取れり。心得ぬことのみ多かれど、皆ただ本のまゝ也、今世の御殿も、大かたの御構は、此図のごとくなりとぞ」と書かれている。
 長さ1町の階段といい、高さ32丈とか16丈といわれても想像のつかない規模である。しかも三本柱が一本に金の輪で縛られるなど誰の目にも荒唐無稽な話であった。
 だが宣長はその伝承に、疑問を持ちながらも、真実が含まれるのではないかと、借覧して写し、そして『玉勝間』に載せた。
 そこに描かれているのは、高さは16丈(48.5m)の社殿である。また「引橋(登り桟橋)長一町(109m)」とある。長さ1町の桟橋に適当な勾配をつけると、高さ16丈に見合うものとなる。建築史家・福山敏男氏は、それをもとに復元図を作成した。しかしその図面を見た多くの建築史家は、構造上実現不可能と考えていた。(引用:本居宣長記念館)

 ところが、その伝説が本当であったことが近年になって判明しました。

 2000年3月末、出雲大社の境内から平安時代末の巨大な本殿跡の柱の一部が発見されたのです。その三本柱を束ねたものが直径1丈(3m)であることから、平面図の信憑瀬が高まり、高さ16丈説が事実であったことが分かったのです。

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(引用:大林組 「季刊大林」より)



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