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神様達の反抗期

 こんばんは、出 雲太(いず うんた)です。

 昨日は、次男の悲劇について語りました。思えば、小さかった子供たちももう大きくなってしまいました。おんぶして歩いた姿が懐かしい。本当に子供はあっという間に大きくなるものですね。子供の頃はいろいろな神社に連れて行ったものだけど、今では誰も付いてきません。哀しい。

 さて、今回は子供の反抗期についてです。意外なことに、うちの子供たちは反抗期というものがなく、人間の成長としてこれでいいのかなぁと少し心配になります。ところが、ついにやってきました!

 三男に反抗期のようなものが現れ始めました!!

 三男は高校1年生ですが、子供の頃はよくしゃべる子でした。学校であったことやら何やらを、聞いてもいないのに、いろいろとしゃべってくれる子で車の中では三男の一人舞台。ずっと話が続いたものでした。

 ところが、高校生になってから急にしゃべらないようになり、こちらがあれこれ聞いても、

「知らない」

「忘れた」

「別に」

 
これは、もしや、

反抗期というものでないだろうか!?

 上二人に反抗期のようなものがなかったので、逆に新鮮です。

今、三男の反抗期、楽しんでます ♪



 さて、神話の神様達も反抗期が凄いようです。特に凄いのはその反抗の特徴です。

 代表的な反抗児はやはりスサノオでしょう。

 スサノオはイザナギが最後に生んだ三貴士のひとりであり、海を治めるように父神から言われたにもかかわらず、長い髭が胸に垂れ下がる年頃になっても泣きわめいていたと言います。

 この「長い髭が胸に垂れ下がる年頃になっても泣きわめいていた」というのが神様達の反抗期の特徴でありそうです。イザナギもさぞやかましかったことでしょう。夜泣きが、大人になっても続いている姿を想像してみてください。耐えられませんよ、きっと。

 スサノオはすったもんだあって、出雲に降りてきて英雄神になったので、よかったよかったですみましたが、すべての神様がそうであるとは限りません。

 中には、それ育児放棄でないんですかという話も出てきます。

 それは「播磨国風土記」のしかま郡・伊和里の項に述べられています。

 その昔、大国主命の子・火明命は、強情で行状も非常に猛々しかった。そのため父神はこれを思い悩んで、棄てて逃れようとした。すなわち因達の神山まで来て、その子を水汲みにやって、まだ帰ってこないうちに、すぐさま船を出して逃げ去った。さて火明命は、水を汲んで帰ってきて、船が出て去ってゆくのを見て大いに怨み怒った。それで風波を巻き起こしてその船に追い迫った。父神は前に進むことができないので、ついに打ち壊された。

(播磨国風土記-しかま郡・伊和里-)

 

 大国主さん!?


 さすがにこれはぐれますよ。イザナギさんに続き、あなたもですか?
スサノオがぐれたのもイザナギさんの家庭事情があったからではないかというのは、以下の話で想像してきました。

 ひょっとすると、大国主命の家庭にも問題があったのかもしれません。津々浦々に女を作っていたと噂され(実際に作っていた)、歌にもされた大国主命です。火明命にも同情の余地があるのかもしれません。

 しかし、その後、大国主命も改心したのか、後にこんな伝説を残しています。

 「出雲国風土記」の仁多郡三澤郷にこのような記述がります。

大国主命の御子・阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)が、髭が胸まで垂れさがる頃になるまで、昼も夜も泣いておられるばかりで言葉が通じなかった。

 ほら、やっぱり「髭が胸に垂れ下がるころ」になるまで、泣き続けていますよね。まさに神様の反抗期の特徴を表しています。

 しかし、今回は火明命のときのような育児放棄はしません。よっぽど火明命の件で懲りたのかもしれないし、反省したのかもしれません。

 阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)をなんとか楽しませようと船に乗せて八十島めぐりに出かけます。

ひょっとして、また阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)を捨てちゃうのか?

 そうおもったみなさん、安心してください。

 今回は大国主命も頑張ります。

 しかしながら、大国主命の努力もむなしく、阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)は泣き止むことはありませんでした。

 すると、今度は大国主命、夢で願掛けをします。

「どうか阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)を泣き止む方法を教えてください」

 この神様はいつでも誰かに助けらることで有名な神様でもあります。

 なんと、今回も夢が助けてくれます。

 「御子が言葉をしゃべるようになる」と夢で告げられた大国主命。

 目覚めるとすぐに阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)のところに行きます。すると、阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)は、

「三澤(みさわ)」

と言葉を発します。

「三澤」とはなんだと阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)に尋ねると、御子は石川を渡り、坂の上に至って留まり、

「ここです」

と、おっしゃいました。

 すると不思議なことにその沢の水沼が現れ、そこで阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)は沐浴をなさいました。

 その水沼は奇跡の泉でした。今も水沼から流れる水を引いて作った田んぼからとれた稲を産婦は口にしない、もしこれを食べると、生まれながらにして子はものをいう。

 生まれながらにして、子はものをいう。

 逆に、それ凄くないですか!?


 まぁ、何はともあれ、大国主命さん、今回は事なきを得てよかったですね ♪

 子供は大切に育ててくださいね。


さて、仁多郡・三澤郷では阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)の奇跡を記念して三澤神社が建てられています。祭神はもちろん、阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)です。


 

こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。

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