見出し画像

【神話エッセイ】 平和78年

平成から令和に元号がかわるとき、ぼくは元号を「平和」にしてはどうだろうと考えていた。

太平洋戦争が敗北で終わり、その後曲がりなりにも平和が78年続いている。これはこれで喜ばしいことではないかと思う(太平洋戦争を経験した人々はもう二度と戦争がごめんだと、心から思ったことだろう)。それなら毎年その平和を確認するためにも元号が平和だったら年の初めに否でも意識するのではないかと考えた。

しかしながら、ぼくは出雲男児だ。大国主命と高天原の契約以来まつりごとには参加しないことにしている(冗談です)。よって元号を平和に変えたほうがいいのではというのは胸の内にひっそりとしまっておいた。でも、いいとおもいませんか? 

平和78年

そう考えると、江戸時代はやっぱりすごかったんだなぁと感心する。江戸時代はいろいろあったにしても、250年以上続いた。1代が20歳で子を産むとして12代もその時代に含まれることになる(あ、だから慶喜公は15代なのか)。鎖国政策があったからだとしても、これはこれで立派なことだったなぁとおもった。 平和250年。 時代というものに人格があるとすれば、平和78年なんて、江戸時代さんからすればまだまだこどもこどもと笑われても仕方がない。

ぼくもあとどれくらい生きれるかわからないけれど、次の次の世代(孫の世代)のためにもあと22年は平和を維持していきたいものだ。 平和100年をみんなで一緒に祝いたい。



出雲神話で大国主命が国造りをしてから高天原に国を譲るまで約10年の歳月が流れている。なぜそれが分かるのかといえば、高天原の第一の使者・天菩比神(あまのほひのかみ)が大国主命にへつらって3年たっても帰ってこず、次の使者・天若日子(あめわかひこ)は大国主命の娘を娶り8年たっても帰ってこなかったと古事記に記載されているからである。

よって長く見積もって大国主命の治世は20年前後ではないかと考える。それが長かったのか、短ったのかはわからないが、その業績によって出雲大社に大国主命は祀られて、今でも出雲を治め(古事記)、霊界を治め(日本書紀)ているのである。



今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 
 
よかったら、出雲大社にもいらしてください。

いっしょに平和について考えてみましょう ♪

お待ちしています。



こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。

 よかったらご覧ください ↓ ↓ ↓


ヘッダー画像は星の汀(ほしのみぎわ)さんの画像をお借りしました。ありがとうございました ♪


この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?