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【神話エッセイ】 苦い思い出

高校生の時に、映画館で「竹取物語」を見た。

確か、沢口靖子さんが主演で中井貴一さんが出ていたような、とうろ覚えでいたのだけど、今は便利なことにネットで調べればいつの頃のことだったのかすぐにわかる。

1987年9月封切りの映画で竹から生まれた娘は宇宙人だったという設定。翁に三船敏郎さん、老婆に若尾文子さんが演じていたとは驚きだ。当時は全くそんなことお構いなしに見に行っていたのだなぁ。

なぜ、この映画を見に行ったのかというと、主題歌をシカゴのピーターセテラが歌っていたからだ。「ステイウィズミー」、実に名曲だった。

そんな理由だから、映画自体はほとんど覚えていなくて、申し訳ない。ただ、ひとつだけ覚えている場面がある。

画面いっぱいに広がる、風に吹かれた竹林の光景

あれはほんとうに素敵な光景だったなぁと、今でも鮮明に思い出すことができる。



今年の春、うちの子供たちは、妹の子供たちと一緒に朝から母とタケノコほりに出かけた。母の実家の裏山には竹林があり、毎年この時期になると母は思い出したように、タケノコを掘りに行く。だからこの時期の食卓はタケノコ三昧だ。

子供の頃はぼくも付いていっていたけれど、今ではぼくの子供たちがいい手伝い人になったので、母は孫を引き連れてタケノコ掘りに出かけていく。ぼくらはタケノコのありかをなかなか見つけられないのだけど、母は慣れたもので、足で目当てを付けて「ここをほれ」と指示をする。子供たちがそこを掘ると見事なタケノコが次々と出てくる。タケノコの頭がほんのちょっと出ているだけなのに、よくその場所が分かるなぁといつも感心する。ちょっとしたタケノコ掘りの名人といってもいいのかもしれない。母たちは袋にたくさんタケノコを入れて、意気揚々と帰ってきた。

のどかな風景に見えるかもしれないが、実はタケノコの習性を知ると、そうのどかなものでもないことがわかる。

タケノコはピーク時、一日で1メートル以上伸びると言われている。あっという間に竹林になることから、どんどんタケノコをとっていかないと大変なことになる。ほっておいたら家の畳下から竹が生えてきたという冗談みたいなほんとの話もある。竹林を持つ人にとって、タケノコ掘りとは竹の成長との闘いなのだ。


* 


出雲神話にもイザナギ・イザナミの黄泉の国伝説の中にタケノコの話が出てくる。

黄泉の国の食べ物を食べてしまい、死んでしまったイザナミ。妻に蘇えってほしいイザナギは「復活するまでけして覗いてはいけない」とイザナミにお願いされたのに、約束を破ってしまう。

怒ったイザナミは黄泉の軍団を引き連れてイザナギを追いかけてくる。
イザナギは最初、野葡萄を投げて、黄泉の軍団がそれを食べている間に逃げようとする。しかし、すぐにまた追いつきそうになったので、次にイザナギが投げたのがタケノコだった。その後もいろいろあるのだけど、遂にイザナギはイザナミの黄泉の軍団から逃げ切ってしまう。イザナミにとっては思い出したくもない苦い思い出だろう。

そんなイザナミさんも今では揖屋神社に大切に祀られている。 


毎年、春になるとタケノコと一緒にイザナミの苦い思い出について思いをはせることになるのだった。

それにしても映画館で見た「竹取物語」、どうしても内容が思い出せないんだよなぁ・・・・何か苦い思い出でもあったのだろうか。 



今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 
 
よかったら、揖屋神社にもいらしてください。

ただ季節ものだからといってタケノコを持ってくるのは遠慮してください。
イザナミにも思い出したくもない、苦い思い出はあるのですから

それでは、お待ちしています。


ヘッダー画像はkei02さんの画像をお借りしました。ありがとうございました♪



こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
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