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自分に満足しきった人々:「大衆の反逆」

どんな本か

この本はスペインの哲学者であるホセ・オルテガ・イ・ガセットによって1929年に書かれたものである。日本語訳も行われていて、文庫版も販売されている。

2020年に出版された岩波文庫版は本文に加え、「フランス人のためのプロローグ」および「イギリス人のためのエピローグ」も収録されているこのふたつの章は内容的に興味深いものでもあるので、いまから購入する方はぜひこの版をお勧めしたい。

全体で400ページ以上にもなるため、決してすぐに読めるわけではない。しかし、細かい章立てがされているので内容の筋道を見失うことはない。

「大衆」とは何か

題名だけをみると、革命や反乱を扱った歴史書のようにも見えるが実はそうではない。むしろ政治的意味は取り除かれている。この「大衆」とは現代の社会に生きる、日常の人々を指す言葉なのである。オルテガはこの「大衆」を「満足しきったお坊ちゃん」と表現している。

平均人は素晴らしい道具、ありがたい薬品、先々を考えてくれる国家、快適さを保障してくれる種々の権利に囲まれているのだ。ところが彼は、そうした薬品や道具を作り出す難しさを知らないし、未来のためにそれらの製造を確保する困難を知らない。国家組織の不安定なことに気づかず、自身の内部にほとんど義務感さえ持っていない。・・・
 人間の生に現われ得る最も矛盾した形態は、「満足しきったお坊ちゃん」である。

岩波版p189

注意しなくてはならないのは「大衆」か否かを分けるのは地位や収入などではないということだ。優秀な科学者などであってもそれは同じである。むしろ「専門主義の野蛮」という一章を割いてまで考察されている。

現状に満足し、主体性や向上心を持たない人々の増加はおのずと世の中を衰退に導いていく。オルテガがこの本を辛辣ともとれる内容にしたのは、これに対する危機感からだと言ってもよい。

ヨーロッパ精神

議論の中では「ヨーロッパ精神」や「よきヨーロッパ人」なる表現が使われている。第二次世界大戦前に書かれた本ということもあり、民族主義的な印象を受けるかもしれない。しかしこれはそのように単純な考えではない。

オルテガ自身が言っているように、当時から多くの国はヨーロッパ発祥のものに頼っている。現代でもそれは同じである。植民地支配の時の制度や文化が残っている国もあれば、日本のようにそれを取り込んで独立を保った国もある。

国際化が進んだ現代の方が当時よりも「ヨーロッパ精神」が浸透したと言ってもいいかもしれない。資本主義や近代科学のように、もはやその由来を意識されないようなものも多い。

この文脈で読み込んでいくなら、オルテガの批判や危機感は時代遅れどころか範囲を広げたといえる。

私たちは「大衆」か

日本も戦後の経済成長とその後の停滞を経験し、社会も成熟したものになってきた。しかしそこにくらす私たちは「大衆」に成り下がってしまってはいないだろうか。

「無理をしない」、「自分らしく」といった風潮やことばが流行している。これをただの現状維持にしないための努力とはなんだろうか。自己修養はめったに耳にしなくなったが、自己分析はずいぶんと盛んである。

平均人は自分の内部で「思想」を見出すが、思想を考え出す機能に欠けている。思想の生きる基盤である、きわめて精妙な要素が何であるかを考えてもみない。彼は意見を述べたがるが、そのために必要な条件や前提を受け入れようとはしない。彼の「思想」が本来の思想ではなく、艶っぽい小唄のように、言葉に包まれた欲望であるのはそのためである。

p151~152

 1929年発表のこの本はもうすぐ刊行100年を迎えることになる。その時に未だ「予言の書」などと呼ばれていないよう、人々が高く志を持ち続けることがオルテガの望んだことではないだろうか。



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