舟崎泉美
【小説】マリコの想い
見出し画像

【小説】マリコの想い

舟崎泉美

 誰もいない車内で彼女はなぜ私の隣に座ったのだろう。
 彼女を通り越し通路の向こう側をちらりと見る。平日の新幹線自由席は、人が少なく空いている。
 この席に座らなければいけない理由。もしかして、それは私なのかもしれない。

「あの? どこかでお会いしましたっけ?」
 私より一回りほど下、20代前半だろうか。とてもキレイだが、口元の大きなほくろが、やけに目出つ女性。少しうつむき加減の彼女を下から覗くように見る。
 怒っているのだろうか泣いているのだろうか、唇をかすかに震えさせながら彼女は答える。
「あなたに聞いてほしいことがあるの」
 もし会っていたら、失礼だと思いつつも彼女に問いかける。
「どこかで、お会いしましたっけ?」
 しかし、彼女は、何も言わず首を横に振り、ぼそぼそと口を動かす。
「あなたなら私の気持ちを理解してくれると思ったから……」
「あなたの気持ち?」
「そう、私、彼氏のことで悩んでいるの……」
 私は今、彼に会いに行くためこの席に座っている。そして、彼に会いに行くことに嬉しさばかりではなく不安も混ざっている。彼のことを考えた時、思い出すのは怒りの顔しかなく、笑った顔は思い出せない。そんな彼に会いに行くことに全く不安がないと言えない。私だって彼氏のことで悩んでいる。
「それで、何を悩んでいるの?」
 私は手元にあった頭に入ってこないファッション誌のページを閉じた。
 聞かずにはいられない。それは同じ女性としての興味本位からかもしれないし、同じ悩みを持つ者として分かち合いたいからかもしれない。
「彼とは遠距離恋愛だったの。私が東京で彼は京都。こうやって新幹線で彼に会いに行ってた」
 私と同じ。それは決して偶然とは言えない気がした。思わず「それから?」と声をかける。早く続きを聞きたいという衝動が考えるよりも先に言葉として出ていた。
「彼とは、はじめうまくいってた。でもね、当時の私は未成年だったこともあって15歳も年上の彼との恋を私の両親は反対したの。もっと自分にあった人がいるはずだってね。だから、私は逃げるように京都へ行き、彼の家で一緒に住むことにした」
 私の両親も彼との結婚を反対している。その理由は、年齢差ではないけれど、彼が定職につかず、何度も職を変えているからだ。
「でもね、彼は仕事を何度も変えて、何をしても長く続かなかった。それでも、私は働いていたし、彼は料理を作ったり、掃除をしたり家のこともやってくれた。それに、なんたってやさしかった。だから幸せだった。でもね、そんな幸せは長く続かない……」
「どうしたの?」
 せかすように口をはさむ。だって、これは、私の話だから。
「彼は暴力を振るうようになった。私も悪かったの。彼の話に返事をしなかったから。だから私は突き飛ばされた。そこからはじまったのは殴ったり、蹴られたりの日々。もちろんあざはいつもあったし、何度か骨も折れた。それでも、自分には彼しかいないと思っていたから、彼に暴力を振るわれない“いい子”になれるように頑張った」
 まさに私の悩みも彼の暴力だった。なんで彼女は私の悩みを知っているのだろう。もしかしたら、彼女は私であり、私は彼女なのかもしれない。
「でもね、いい子でいようとすればするほどに私は失敗する。だって、私はドジだし、頭が悪いから。一番こわかったのは煙草の火。彼は、苛立つと親指と人さし指で煙草を持つくせがあるの。それを、私に押し付けようとしたことが何度もあった。今でも、その時の怒りに満ちた彼の表情は忘れないわ」
 彼女の声は、更に熱を帯びてゆく。身振り手振りを交えながら巧みに話す。私は彼女の話にすっかりひきこまれていった。
「それで、彼の暴力はおさまったの?」
「いいえ。どんどんエスカレートしていった。それでね、ある時、突き飛ばされた瞬間にテーブルの角に頭を打ったの。床に血が流れ出るのが見えた。そこで私は意識を失って病院に運ばれた。でもね、私はうっかり転んで頭を打ったことになって、彼は捕まらなかった」
「それは辛かったわね……」
「何が辛いの?」
 何気なく発した一言に彼女は反応する。
「だって、そんなひどいことした彼が捕まらないなんて……」
「普通に考えればそうなのかもしれない。でも、私は暴力を振るわれても彼のことが好きだった。だから彼が捕まらなかったことにほっとしたの……」
 自分だったらどうだろう。私も彼女のように暴力を振るわれても彼のことを嫌いになれない今、同じ状況に陥ったらほっとするのだろうか。それとも、ショックを受けるのだろうか。
「あなたの彼氏は大丈夫?」と彼女は言う。
「私の彼氏は、そこまでの暴力はふるわない……」
 もしかしたら、私にも同じことが起こるかもしれないと思いつつも、そこまでひどい彼氏じゃないと自分に言い聞かせるように返事をした。
「でも、暴力をふるうクセはそんな簡単に治らない。あなたもわかるでしょ?」
「そんなことない……」
 そこまで言い、口を閉ざす。やっぱり、彼女は私のことを知っている。私が暴力を振るわれて悩んでいることを知っているんだ。
「ねえ、あなた誰なの?」
「私の名前はマリコ」
「そういう意味で、聞いたんじゃない。一体、何者なの? なんで、そんな話してくるの?」
「そのうちわかるわ」
 その時、名古屋にまもなく到着するというアナウンスが車内を流れる。それと同時に彼女は言う。
「大事なことを伝え忘れてた。あなたの彼氏、あなたが思っているほどいい男じゃないわよ」
「なんで、そんなことわかるの?」
「なんだっていいじゃない。でも、気をつけたほうがいい。なんなら引き返したほうがいい。会わないほうが身のためよ」
「私たちはじめて会ったのよね? やっぱり、私のこと知ってるんでしょ? じゃないとそんなこと言えない」
 彼女は何も返事をしなかった。そして、私も何を言えばいいかわからなくなった。
「あなたのために、会わない方がいいって言ってるの」
 そこまで言うと、マリコと名乗る女性は立ち上がった。
「待って。もう行くの?」
 彼女の話をもっと聞かなくてはならない。そんな衝動にかられた。
「もう行かなきゃいけないの」
 すっかり彼女に引き込まれていた。
「ねえ、一つだけ聞きたいの」
「なに?」
「結局、意識が戻った後、彼とは別れられたの?」
 どうしてもこのことを聞きたかった。東京と京都の遠距離恋愛。両親に反対される彼。暴力を振るう彼。ここまでは現在の私でも知っている。今の話。でも、私が聞きたいのは、病院に行った後の話。それは私の未来の話と言えるだろうから。
 私の質問に不気味に口角をあげた。
「私の意識はそのまま戻らなかったの」
「どういうこと? 戻らなかったって……」
 わけがわからないまま、戸惑っているうちに彼女は歩き出す。
「待って!」
 私は彼女の後を追う。しかし、彼女の姿はすでにデッキになく名古屋駅のホームに消えていた。
 彼女は一体、なんだったのだろう? 意識が戻らなかったってどういうこと? 胸の中をざわざわとした暗闇がおおっていく。

 気付くと京都についていた。私は新幹線を降り、いつも待ち合わせしている場所へと不安を抱えながら向かう。
 そこで彼は、煙草をふかしながら待っていた。彼は私の顔を見ると笑顔を向ける。その笑顔に私の不安は和らいでいく。
「久しぶり」
 彼は少し気恥ずかしそうに言う。私の仕事が忙しかったこともあり、彼に会いに来るのは半年ぶりだった。
「ほんとうだね」そこまで言い、私は彼の車に乗り込む。
 彼の家までの道のりは大抵、近況を話して終わる。最近、何か変わったことあった? 仕事はどう? 遊びに行ったりしてるの? 何気ない会話。だけど、私が気になったのは、また彼が仕事をやめたということ。
「なんで、仕事やめちゃったの?」
「なんだっていいだろ?」
 私は、彼の不機嫌のスイッチを押してしまう。そして、私の胸をざわざわとした暗闇が襲う。
「ったく、突然出てくんじゃねーよ。ちゃんと見てんのかよ!」
 彼は車に乗ると気が大きくなる。横から出てきた車に罵声を浴びせる。決して、突然出てきたわけじゃないのに……彼の不機嫌は度を増し、私の暗闇はだんだん濃くなってゆく。
 その時、私ははじめて気づいた。彼の煙草の持ち方が変わっていることに。
 マリコの言葉が頭をよぎる。
「彼は、苛立つと親指と人さし指で煙草を持つくせがあるの」
 まさか、そんなことって……でもやっぱり、彼女は私であり、私は彼女なのかもしれない。
「ねえ、マリコっていう人知ってる?」
 彼の横顔がさらに険しくなる。もしかしたら、私は不機嫌のスイッチを押し続けているのかもしれない。それでも、聞くしかない。
「マリコなんて名前、どこにでもあるだろ?」
「20代前半ぐらいで、とてもキレイで口元にある大きなほくろが印象的な女性」
 そこまで言うと彼の顔色が変わった。
「その女がどうしたの?」
 震える声で彼は言う。
「さっきね、彼女と新幹線の中で会ったの……もしかして、あなたの知っている人かもしれないと思って……」
「さっき?」
「そう、少し前」
 見るからに彼は震えだし、信号無視をした。あぶないと思った時にはすでに遅く、横から大型トラックが突っ込んでいた。
「会わないほうがいい」と言ったマリコの言葉を思い出す。彼女の言うことを聞けば良かった。引き返せば良かった。やけにゆっくりと横転する車の中で後悔が襲ってくる。
 その時、ルームミラーに彼女の姿が見えた。口元にほくろのある美人な女、マリコ。「私の彼をとらないで……」彼女がそう呟くのが聞こえた。

 横転が止まり形なく崩れる車の中、薄れゆく意識の中で私は全てを察したような気がした。
 彼女は彼の暴力により意識の戻らぬままだった。もしかしたら亡くなったのかもしれない。でも、彼女は私を助けるため会いに来たのか、彼への嫉妬のゆえ私を殺しに来たのかは最後までわからなかった。

小説:舟崎泉美 イラスト:目黒雅也

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この物語は雑誌「クリネタ」34号に掲載されていたものを加筆・修正したのものです。

初出 マリコの想い 雑誌「クリネタ」34号 2016年6月


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
舟崎泉美
小説家・脚本家・ライター。 小説『ほんとうはいないかもしれない彼女へ』(学研プラス)にて、第一回本にしたい大賞を受賞しデビュー。 小説や脚本を書いたり、作詞をしたり、映画を作ったり、アナログゲームを作ったりと、さまざまなクリエイティブに挑戦中。