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自分をしあわせに、周りをしあわせに

こちらのお話会


先に番外編のような記事を書いてしまったが

こちらが感想本編です。

とにかく深かった!
小渕さんは精神保健福祉士で精神障害者についての歴史や、そもそも精神障害とはみたいなところから話されていた。

私は実姉がもう何十年と精神科に入院してるし、昔から何故か周りに所謂精神疾患を患う人が多い。そして現在は小渕さんが経営されているようなグループホームでもバイトしている。

だから常に精神障害や精神疾患って周りに当たり前にあるような感覚だし、その分思うところもいろいろある。
そんな私が感じていた違和感を明確に言葉にしていただいたような会だった。


隔てることの弊害。
隔てることは患者(障害者)本人を守る意味もあるけど、分断されるというデメリットもある。

精神障害は特別ではないと小渕さんは言う。
私も全く同感なのだが、「特別じゃない=社会に馴染め」みたいにも捉えられがちで。そういうことじゃないんだよね。言葉って難しいなぁ。

上手く言えないんだけど、身内からすると障害があろうがなかろうが「お姉ちゃんはお姉ちゃん」なんだよね。
それは小学校の時友達が足が不自由だったんだけど、それも含めてその子だった感覚に似てる。
可哀想とか特別とかじゃなくて、ただそういう状態だよね、って感覚。

昔は支援級とかなかったから(なくはなかっただろうけど、田舎だったからなのかな?みんな普通級だった記憶)当たり前にひとつのクラスに居たから、特別な感じも分離感もなく、まるっとその子を見ていた。その子をバカにするような子もいなかったしね(学校の環境がよかったのかもだけど)


幼少期にそういう経験ができたことを、私はしあわせだと思っている。
勿論分け隔てないことのデメリットもあるからどちらがいいとかわるいとかって決めてしまうのはすごく難しい。

だから学校が、とか、病院が、とか言う前に、自分がそういう場をつくってしまえばいいんだなとも思った。

もともとよかよか学院って年齢とか経歴とか役割とかあまり関係ないしね。
何故ならみんな子どもに戻るから。

ただ同じ人として関わり合う。別々の人生を歩むひとりの人として。
これって子育ても同じじゃんね。
結局そこなんだなぁ。


ばなな先生のお話で印象的だったのは、普通級と支援級の子どもたちがガチで喧嘩した話。ちょっとウルっときた。
どちらが偉いとか上とか下とか良いとか悪いとかそういう隔たりが無くなった瞬間だよね。

そこにあったのは「いいクラスにしたい」という同じ思い。
それだけでいいじゃんね、って思う。

そして自分をしあわせにすることと周りをしあわせにすることをやる「かかりの時間」なんだなぁと思う。

自分を大切にできれば、周りも大切にできるから。

いろいろ考えて結局ここに戻るんだな・笑
でもホント素敵な時間だったし、もっとお話聞きたかったー!

お話会の動画販売してます。
福祉や教育に関わってる方も、自分には関係ないと思ってる方にも聞いて欲しいなぁ。


一度体験してみてください

因みに2/5、2/11、2/13、2/17は私が担当します。

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