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Nosutarujikku novel Ⅱ 小雪①


 釧路から札幌へ鈍行で半日あまり。夕刻、札幌駅に降り立つと、粉雪が少し舞っていて円錐計の塔の形をした街頭温度計が「只今の温度-3℃」と点灯していた。この街に流れ着くために、僕は約三週間に亘って道内を遊行し、有り金を殆ど使い果たしてポケットにはコインが数枚しか残っていなかった。
何故か最後の街は札幌と決め込んでいた。いや正直に言うと運河の街小樽との2者択一であったが、小樽までの運賃がすでに無く、選択肢は一つだった。

 家路を急ぐ人達が、ターミナルを目指して、寒さに抗いながらうつむき加減に足早に歩いている。駅のスタンドで夕刊を買って、ベンチで読み漁り、求人欄で住み込みで働けそうな処を探した。「急募 喫茶見習い寮あり・委細面談」を見つけて電話した。
だが、担当者が急な用事で今日は不在で明日の夕方4時前に来るように言われた。

 凍てつく空には弓張月がくっきりと輝いていて、それを視ながら思案した。
そして、虚空に矢が放たれて僕のこゝろは打ち抜かれ、思いがけない行動をとることとなった。
ビルの地下街から、白いコートを着た女性が出て来て、僕と目が合った。その瞳は大きく見開かれていて、宙(そら)を視ているようだった。
僕の軆󠄁に言い知れぬ漣が走り、その波の力に押されるようにして、すれ違いざま、僕は声をかけた。 見知らぬ女性に声をかけたのは、僕の人生で後にも先にも、この時の一回だけである。
「すいません。旅の者ですが、お金を使い果たして困っています。
 今晩 一晩だけで結構ですから泊めて頂けないでしょうか?」
勿論、僕は顔を真っ赤にしながら、たぶん縋るような眼差しで、震える声で言い放ったに違いなかったのだろう・・・・・・
驚きの表情で、まじまじと僕を視た彼女は、笑いながら・・・
「私、旦那もちなの、泊めてあげたいけれど・・・出来ないわ。時々外
  泊するのだけれど、今日はいる筈なのよ」 なるほど、彼女の左薬指
 には目映くリングが光っていた。
そして、その言い方には軽いジャブを放って、相手の出方を視つめるボクサーのような感じを受けた。僕は、アメリカンシネマでよく俳優がやるように、肩をすくめ両手を開いた。 彼女は更にまじまじとと僕を視つめながら「何処から来たの?」「東京ですが、大阪生まれです。」「ふ~ん、そう。まあお茶位奢ってあげるわ。付いてらっしゃい」と言って彼女は歩き出した。
何だか、姉御肌のような人で良かったような・・・悪かった?ような気持ちになりながら、彼女の後をついていくことになった。

 喫茶店は、年季の入った古風な名曲喫茶でエリック・サティの『ジムノペディ』が流れていた。 サティはやはり朝の音楽だと想いながら窓際の席に座った。
「好きなものを注文しなさい」とメニューを渡された。それではと珈琲をお願いした。暖かい店内で、僕はようやく彼女の顔をまともに視つめることが出来た。美人である。化粧をあまりしていない分、パット眼には平凡な印象を受けたが・・・犯しがたい独特の気品が漂っていた。歳は多分三十代前半、仕事は分からないけれど、和服を着れば、旅館の女将でも十分通りそうだと、想いを巡らしていると・・・突然、激しい声で彼女は言い放った。
「人生、そんなに甘くないわよ」
寛ぎかけていた僕は、躯を強ばらせて頷くのが精一杯だった。
「まったく、どんな了見で私に声をかけたの?」
僕は、正直に大学を追われるように辞めたこと。そして、旅をして今までの生き様・在り様を視つめ直して、新しい一歩を踏み出したかった。しかし、有り金を全部叩いて、ここ札幌に流れ着いたことを詳しく話した。
彼女は煙草をそのしなやかな指に挟み、ゆっくりを煙を吐き、時折窓から降り積もる雪を垣間視ながら表情を変えずにコーヒーを飲み干した。
僕は、その煙に幻惑されながら話を続けた。三本目の煙草が吸い終わる頃僕の話は終わった。
「真面目なのね・・・でもね・・・・・・」そこで苦笑いしながら
「なんだかお説教を垂れようとしているね。まあ、私ったら・・・若い
 ってことね。色んな意味で・・・」 いい人だと思った。

 突然、彼女は自分の身の上話を始めた。雄弁に舌が回ると言うか、一つの話の筋道を整理して理解しようとする矢先に話はもう別の話に跳んでいた。要は浮気をしている旦那を黙認しなければならない自分に嫌気が差している。でも、どうしても別れられない、別れたくない自分がいることが信じられないと・・・溜息をついてお水を飲んだ。
「どうしてだと想う?別れるとね、今までの関係がなんだったのと考え
 る訳。歳も歳だし、又一から始めるっておっくうなの、わかる?」
「分かりますって、人生経験が短い僕が言えることではないでが・・・
 一からやり直した方が良いような気がします。まだまだお若いし、
 出逢いは必ずあるような気がします」
「今日のように・・・・・」
二人は同時に笑い合って視つめあったが、彼女は眼を伏せて、灰皿に置いた煙草をもみ消し、もう一度僕をまじまじと視つめて
「ホテルへ行く?」
「えっ、いきなりですか?こゝろの準備がまだ・・・」
「馬~鹿~。今日あなたが泊まれる安いホテルを案内してあげようかっ 
 てこと」
「すいません。お手数をお掛けします」
「見かけによらず、ひょうきんなのね」
「ひょうきんって言うより、切羽詰まっていますので、ほんとうにすい
 ません」

 店を出て、また雪の舞う街を数分歩いた。ホテルと言うよりは山小屋のような旅館の前に着くと、千円札を丸めて僕の手に握らせ、もう一度まじまじと僕を視た。彼女の手は温かだった。
「素泊まり五百円なの、残りは明日の食事代。住み込みの仕事って、
 多分夜のお仕事なのね、身体気をつけてね、雪国を甘くみないこと
 ・・・いいこと」
「何から何まで、ほんとうにありがとうございます。自分を大切にして
 幸せになって下さい」彼女は身体を曲げて笑った。
「君は、面白い人ね。ほんとうに困ったらここに連絡して、出来ること
 があったら手助けしてあげるから・・・」
街灯の下で渡された名刺を素早く眼を通した。貿易会社の名前と社長室室長 白石小雪と書かれていた。
「小雪さんですか。姓名ともに北の街にぴったりですね。」 と僕が言うと、また笑って
「じゃぁ、旦那が待っているので」
僕は深々と礼をして小雪さんを見送った。

 後ろ姿を見送りながら、心なしか早足で歩く彼女はそれでも旦那が愛しいのだと感じた。人を愛するってことは良いことだ。そしてその人に愛されることはもっといいことだ。

 素泊まり五百円の宿は、迷路のような螺旋階段を登り、屋根裏部屋のような一室に案内された。ストーブが焚かれていて、部屋は暖かだった。僕には快適そのもので、瞬く間に深い眠りに落ちた。 ②に続く

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