森鷗外『舞姫』指導案&振り返り

①学習目標

・語り手である太田豊太郎の心情変化を正確に読み取ることで読解力を向上させる。
・語り手の論理を基に、他の登場人物の心情を類推し、情報をもとに類推する力を高める。
・類推した心情を物語の形で著すことで言語運用能力を高める。

②教材観

 1890年1月『国民之友』初出。鷗外の妹である小金井喜美子が「だんだん進む中、読む人も情に迫つて涙声になります。聞ゐている人達も、皆それぞれ思ふ事はちがつても、記憶が新しいのと、其文章に魅せられて鼻を頻にかみました」と記述するように、同時代において高い人気を博した。一方で、石橋忍月による豊太郎の矛盾を批判するような言説が提出され、鷗外も反論するという事態も生じた。
 『舞姫』の初出から130年が経過し、漱石『こころ』以上に時代的な隔たりを孕んでいる。なおかつ、プロットを辿ると豊太郎への非難や、エリスの悲哀ばかりが強調される傾向があり、現代において『舞姫』を読む意義がどこにあるのか、という問いと常に隣り合っている教材でもある。豊太郎の筆によって書かれるという設定からすると、『こころ』の「先生」と同じように、この手記を読んでいる人間(もしくは書いている本人)が豊太郎の罪に触れるように書かれているのであり、豊太郎を非難することは、豊太郎の思惑にそのまま便乗していることになる。また、豊太郎の筆によって書かれるエリスは理想化され、清廉潔白な弱者として描かれていて、エリスが抱えていたであろう複雑な状況までは具現化されていない。そのため、『舞姫』を解釈するためには、豊太郎の筆を信奉するのではなく、プロットを辿りながらも相対化しつつ、「豊太郎が描かなかったエリス」についても考察する必要がある。未だ儒学的な文化が色濃い明治初期で立身出世が目指されるべき立場に豊太郎が立っていた、ということを考えるのと同じように、決して一流とはいえない劇場で低賃金労働を強いられながら、娼婦的な役割をおわされそうになっているというエリスの立場も考慮する必要がある。
 また、重厚な雅文体で書かれているという特徴も、現代の読者が『舞姫』との間に時間的距離を感じる要因になっている。授業によっては物語の筋を追うだけに終始するということにもなりかねない。しかし、授業で物語を読むということは、書いてある筋を理解するだけではなく、筋を理解した上で問いを立て、自ら問いについて論じることで解釈を深め、他者と解釈を交わすことでさらに読みを深めていくという営みも求められる。口語訳を補助的に扱いながら、生徒に雅文体を吟味してもらいたい。
 雅文体を吟味し、豊太郎の語りから情報を整理し、まとめた情報からエリスの心情を類推しするという営みは、『舞姫』だけではなく、あらゆるテクスト、あらゆるメディアから発信される情報にも応用できる。読書離れが進む昨今であるが、様々な種類の「情報」に触れる度合いは高度情報消費社会を迎えることでますます高まっていく。情報を多角的に分析し、その情報から妥当性の高い結論を見出す力を身につけるために、『舞姫』の授業を展開していきたい。

③単元の評価基準 

 ① 作家の背景知識を理解している(A)
 ② 登場人物の関係、物語の筋を整理している(A)
 ③ 豊太郎の語りから得られる情報からエリス・相沢の心情を類推できている(B)
 ④ 類推した心情を物語として言語化している。(B)
⑤ 他者と解釈を分かち合いながら、自分の読みを深めようとしている(C)
A…知識・技能  B…思考力・表現力・判断力 C…主体的に学びに向かう力

⑤授業の流れ

 年末の最後の授業で『舞姫』の口語訳版を生徒に配布し、冬季休暇の間に読んでくるように指示(読んでこなかった生徒多数)
 
1時間目 
導入として、ブランデンブルク門の風景やホーチミンの港街の風景、どのような航路で豊太郎はブリンジシから日本へ帰ってきたか(スエズ運河の建設なども説明しつつ)、明治20年代の日本がどういう時代だったか(憲法制定、帝国議会開設などの近代化)を説明し、整理する。

2・3時間目
初読の感想を書く。冬休みに口語訳を読んでいない生徒がいたので、この時間内に読むことで全員がプロットを追えるように調節。

4・5時間目
ワークシート①を配布し、3人一組のグループになり、豊太郎が描く「豊太郎」「エリス」「相沢」の人間像を整理する。初めに、生徒の主観を交えず、「豊太郎がそれぞれをどう描いたか」という観点からまとめる。次に、生徒が各登場人物に対してどのような印象(主観的)を抱いたかを書く。豊太郎の情報と各生徒の印象の共通点、差異をグループの中で見出す。
 ここまでで『舞姫』を解釈する下地が完成する。

6~11時間目
 ワークシート②を配布し、3人一組のグループになり、『舞姫』のプロットを作成する。プロットとして重要であると思うものを本文から抜き出す。このときに、できるだけ原文に触れるように教科書の該当するページ数、行数も一緒に記入する。これによって生徒は口語訳と原文を交互にみることになる。プロットが完成したら、
 グループをいれかえ、それぞれのプロットの共通点と差異を見出す。同じテクストでも、プロットを組むと個人によって抜き出す箇所や、抜き出すときに使う言葉が微妙に違う。(例、エリスが妊娠するorエリス、妊娠の疑い、など)。他の生徒のプロットから必要なものを取り入れ加筆する(元々自分が書いたものは絶対に消さない)。
 プロット作成が終わったら、プロットに合わせて豊太郎の心情の変化をまとめる。この作業によって、出来事と心情をリンクさせる。完成したらプロットと同じようにグループを変え、他の班の意見を取り入れる。
 ワークシートを追加し、エリス・相沢の心情をプロットに合わせて記入させていく。エリスの発言、相沢と豊太郎の会合を基にしながらも、豊太郎が構築する世界から相対的な立場を取り、心情を考える。
 教員は机間巡視しながら、生徒の議論を聞き、アドバイスを送る。

12、13時間目
 ワークシート③を配布し、豊太郎が熱病で寝込んでいる間、相沢とエリスは面会し、エリスと別れる約束をしたこと、豊太郎が日本へ帰国することをエリスに告げる。その場面をエリス目線で描き直す。相沢がエリスの家を訪れる場面からスタートするという設定で書く。そのときに、今までまとめた豊田郎、エリス、相沢の人物像を反映するように促す。

14時間目
 書いた物語をランダムに配布し、他の生徒の物語を読み、感想を書く。最初の二人は感想を書き、残りの二人はアドバイスも含めて記述するように促す。

⑥実施の振り返り

・グループワークの宿命として、班によって作業の進行具合にどうしてもばらつきがある。机間巡視をしながら、早く終わった班の用紙を見ながら「この部分を深く考えてみてはどうか」と考察を深めるように促し、できるだけ全ての班が作業が終わるまで時間を取る。本当はワークシート②(プロット作成、心情描写整理)の時間は2コマほど短い予定だったが、大幅に延長することを余儀なくされた。学習指導要領改訂によって対話的授業が増加するとは思うが、時間配分、班によるスピードの違いは考慮し続けなければならない(50分歩き続けるので結構体力使う)。
 
・講義式の一斉授業をほとんど行わなかったため、専門知識の掘り下げがうまくできなかった。たとえば、エリスの共に挙げられたシラーとショーペンハウエルがどのような作家、思想家だったのか。シラーのロマン主義的要素、ショーペンハウエルの実存主義的要素がベルリンの「自由の風」を経験した豊太郎にどのような影響を与えたのか、ということまでは深く説明できなかった。生徒主導の取り組みでは、生徒が持っている規制の知識の枠組みで思考する場面が多くなる。その知識の枠組みを対話的授業の中でどう広げていくかも今後の課題となる。

・そのようなことを考慮しながら、私は机間巡視を行い、生徒の議論を抽出し、考察を深めるような情報を提供するように努めた。例えば「エリスもエリスの母親も最初は豊太郎に金銭的支援を目的に近づいた。そのときはエリスも母も黒だった。母はそのまま黒のままだったが、エリスは豊太郎と交際する中でグレーになっていく」という意見が提出され、その意見に対して「『こころ』の先生も末尾で何も知らないを「純白」という言葉で表現しているけど、お嬢さんが本当に白だったかはわからない」と返し、エリスやお嬢さんが持っていたであろう企み、思惑に関する考察を深めるように促した。
 また、班の中で出た議題を集約し、授業の途中で私から他の班にも共有するなど、情報共有にも努めた。

・ワークシート③の物語では意欲的な作品が数多く見受けられた。『舞姫』の語りの構造(現在から始まり、過去の回想に入り、また現在に戻ってくる)をオマージュしたもの、冬の情景描写を丹念に描いてエリスの心情を強調したもの、悲しみに暮れるだけではなく「なぜこうなったのか」と自問を繰り返しているエリスの姿、豊太郎との別れをどこかで予想していたエリスなど、憎悪や悲嘆に暮れるだけではなく、複雑な感情を抱いているエリスの姿が描かれていた。相沢に関しても冷酷にエリスに別れを告げる相沢や、申し訳なさそうにエリスと話す相沢、慈悲深い態度で話す相沢など、様々な姿が見受けられた。物語を生徒の間で読み合うことで、解釈の多様性に生徒は触れることができた。

⑦まとめ

 私自身『舞姫』を授業の中で読むことに関しては懐疑的だった。「性」を扱いにくい教室で「性」が物語のキーワードになる『舞姫』を読むことの意義を見出せるかどうか、など考えるところはあった。しかし、『舞姫』の特殊性は特殊であるがゆえに普遍性を持ち、エリスの苦しみ、豊太郎の葛藤は生徒を惹き付けるだけのものがあった。
 さらに、豊太郎の言葉をもとに、空白である他の登場人物の心情を埋めるという解釈作業も行うことができる。『舞姫』は『こころ』同様、多様な読みを許すだけの強固な構造性も持っている。エリスや相沢の心情も空白ではあるが、「なぜ豊太郎がこの手記を著したか」という理由も空白になっている。「恨み」の根源を探るために人知れず手記を著す、と書かれているが、これは自分の内省を整理するためだけにあるのか、それとも帰国後に誰かに読ませるために書いているのか。豊太郎はどこまでの「他者」を想定して書いているのか、というところにも解釈が及ぶ(※宇佐美毅「教室で『舞姫』を読むために」)。『舞姫』の外にいる豊太郎を考えることもできる。これだけの多様な解釈を生み、それでいて膨大な研究の蓄積がある『舞姫』は今後も様々な角度から読み継がれ、それぞれの教室の中で変容し続けるのだろう。
 このような共感を引き出すストーリー、緻密な構造性を持つ、完結している作品(『こころ』は一部分しか授業扱えないため、どうしても消化不良に陥る)として、現代でも『舞姫』は教材たり得ると思うようになった。

参考文献

・『鷗外近代小説集』第1巻(岩波書店)
・『日本近代文学大系』第11巻(角川書店)
・岡田直紀「教材 「舞姫」 におけるエリスの 「不在」 という 「空所」 を読むことに関する一考察」(『語文と教育』2016)
・前田愛「BERLIN 1888」(『都市空間のなかの文学』筑摩書房、1982)
・柴田勝二「「弱き心」 としての自我ー 『舞姫』 と象徴的秩序」(『総合文化研究』2016)
・小泉浩一郎ら「文学教育における〈読み〉 『舞姫』を読む」(『日本文学』1985)
・千田洋幸「文学教育のリストラクチャー・序説」(『東京学芸大学国語教育学会研究紀要』2016)
・宇佐美毅「教室で『舞姫』を読むために」(『中央大学文学部紀要』2012)


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