見出し画像

鬼滅の刃は古事記の登場人物のトラウマを昇華させた「日本人の命の起源への祈り」

1.大ヒットした理由は何か?

『鬼滅の刃』が漫画、映画ともに大ヒットして、映画は歴代1位に大手をかけているそうです。

私は、同作品が大ヒットした理由は、1つではなく多重構造だと思っています。
よく言われる「子供でも分かるシンプルなストーリー」「アニメ化されたこと」はもちろん、「コロナ禍で漫画やアニメを見る時間があった」「コロナ禍で希望を見いだせる内容の映画だった」等、確かにそうだと思います。
でも、一番の理由は、時代の流れの「ど真ん中」に共鳴させていくほど、作品の持つ圧縮されたエネルギーが、次々と化学反応を起こしているのだと思います。

それは何なのか?
私の個人的見解ですが、古事記を現代版にアップデートした要素が、鬼滅の刃の深部を貫いている気がします。
既に何人かの方が指摘しているように、古事記と鬼滅の刃はモチーフとして非常に似ている部分があります。


しかし、まだ指摘されていない部分もあり、それは古事記の登場人物のトラウマを昇華させた「日本人の命の起源への祈り」ではないか、と私は考えています。
今回の記事では、既に指摘されている部分と、私の個人的見解を併せて書いていきたいと思います。


2.日本を創ったイザナギとイザナミの愛憎劇

大ヒットする映画や物語は、必ずと言っていいほど、「神話」にルーツがあります。
神話学者のジョセフ・キャンベルが見出しているように、世界中の神話には共通パターンがあります。
年月を経ても変わらない人類共通の恐れ・葛藤・願い・希望が神話のパターンに凝縮されているので、大ヒットする物語は、多くの人の琴線に触れているのです。
古事記は日本の神話ですが、その中で描かれている「日本のはじまり」を、簡単にまとめました。

~ここから~
世界の天と地が分かれ、神様たちが生まれ、最後にイザナギという男神と、イザナミという女神が生まれました。
イザナギとイザナミは、日本列島を生み、その後、様々な神も産みました。
その最後に火の神「カグツチ」を産むのですが、その際、イザナミは産道に火傷を負い、死んでしまいます。

妻を失い、怒ったイザナギは、子どもである「カグツチ」を斬り殺します。
妻を諦めきれないイザナギは、死者の世界である黄泉の国に、イザナミを迎えに行きました。
しかし、イザナミは黄泉の国の食べ物を食べ、体が腐っていました。
「会いたい」というイザナギ。腐った体を見られたくないイザナミは、「黄泉の国の食べ物を食べてしまったのでもう会えない。でも黄泉の国の神様に聞いてみるので待っていてください。その間、決して中を覗かないでください」と言います。

しかし、我慢ができないイザナギは、中を覗いてしまいます。
腐って蛆が湧き、変わり果てたイザナミの姿を見て、イザナギは逃げ出します。
イザナミは怒り、醜女軍という鬼たちを放って、追いかけさせます。
鬼に何度か追いつかれそうになりながらも、桃の実を投げると、鬼は一目散に逃げていきました。

遂に、イザナミ本人が追いかけてきましたが、この世と黄泉の国の間を大きな岩で塞がれてしまいます。
怒ったイザナミはこう言います。
「お前の国の人間を1日1000人殺してやる」
イザナギはこう言い返します。
「それならば、私は1日1500人産んでやる」

こうして愛し合っていた2人はあっけなく終焉を迎えました。

~ここまで~

3.古事記と鬼滅の刃の共通点

この短い内容の中でも、鬼滅の刃に通じる部分がたくさんあります。
細かい点はまだありますが、大きな部分のみ挙げます。

(1) 鬼滅の刃は、鬼退治をする「桃太郎」を想起させる話
最後に出てくる桃の実が、「桃太郎」の起源になったという説があります。

(2) 火の神「カグツチ」
① 1巻の(本編と本編の間にあるコラム(?)の中で)“大正コソコソ噂話”で、タイトル候補に「鬼狩りカグツチ」「炭のカグツチ」があったと書かれています。「カグツチとは火の神様」とも書かれ、作者が古事記を意識していることがうかがえます。
② カグツチは、剣・刃に関係する神様で、竈神(かまどがみ)としての役割があります。主人公の名前は「竈門(かまど)炭治郎」です。そして、作品中に出てくる、剣・刃、ヒノカミ神楽、日の呼吸といった、キーワードが繋がっています。

(3) 神様を柱と数える
日本では、神様を数えるとき「柱」で表現します。鬼滅隊の柱を思わせます。

(4)黄泉の国

黄泉という言葉の由来には諸説あり、夜見(よみ)、闇がなまったなどがあります。鬼の活動時間でもあり、鬼のいる世界そのものです。

4.古事記の登場人物のトラウマを昇華させる

さて、ここから私の見解を書いていきます。
古事記と鬼滅の刃の関連性を図にしてみました。

画像1

簡単に言うと、イザナギ・イザナミ・カグツチのトラウマ(陰)が、鬼滅の刃の登場人物を通して昇華されていく(陽)というものです。
それぞれが特定の1人に反映というより、複数人に反映されていると思います。

イザナギの「陰」は無惨や手下の鬼たちに、「陽」は炭治郎や鬼殺隊などの仲間に反映されています。
イザナミの「陰」は無惨や手下の鬼たちに、「陽」は禰豆子に反映されています。
カグツチの「陰」は鬼に殺されてしまった人たち、「陽」は炎柱の煉獄さん、炭治郎に反映されています。
細かい視点も入れると、もっといると思いますが、シンプルにするために、敢えて代表的な人物のみ挙げました。

5.「報われない愛」と「見捨てられ恐怖」のトラウマを持つイザナミ


まず、イザナミについて書いていきます。

画像2

(1)炭治郎は女性にとって理想の男性像

私は、炭治郎と禰豆子との関係に、イザナギとイザナミの元型を感じています。
因みに、イザナギとイザナミは、同じ根源から誕生しているので「兄妹」とも解釈できます。
神話では、兄弟姉妹で結婚する(他にいないので)のは、よくある話です。

私が鬼滅の刃の漫画を読んでいて、「あれ?」と思った点は、この場面です。

愈史郎(ゆしろう)が、禰豆子を初めて見たとき、炭治郎にこう言うのです。
「鬼じゃないか その女は」「しかも醜女だ」と。
こう言われて、炭治郎は「醜女のはずないだろう!明るいところでよくみてみろ!美人だぞ!」とムキになって反論して、訂正を求めます。

結果的に、数日後に愈史郎は「お前の妹は美人だよ」と言うのですが……。

何気ない場面なのかもしれませんが、私は妙にこの場面が引っかかりました。
愈史郎のキャラを立たせるセリフでもあるのですが、
炭治郎のムキになり方が「妹に対してではなく、恋人や妻に対するもの」と直観的に感じたからです。

そういう見方をすると、炭治郎の禰豆子に対するセリフには、
「俺たちは一緒に行きます」「離れ離れになりません」
と、「恋人に言っている」とも感じとれるニュアンスが随所にあります。

鬼滅の刃には、わかりやすいヒロインがいないと言われますが、禰豆子は妹と恋人の両方を兼ねているヒロインなのではないでしょうか。

ところで、イザナギとイザナミの話を最初に読んだとき、私はこう思いました。
「イザナミが気の毒すぎる。愛する人が、自分の姿を見て気持ち悪い、と逃げ出すなんて!」

神話に出てくる神様は、結構ドロドロしています。
人間並みに欲を持ち、殺したり喧嘩したり、嫉妬したり。
人間の写し鏡のような存在なのです。
なので、イザナギが「醜い女は嫌だ」と逃げ出すのも、実に正直なのですが……。

せっかく子供を産んだのに、火の神を産んだばかりに火傷をして死に、
死ぬ思いをして産んだ子供を、夫であるイザナギが斬り殺す。
そして、夫は自分の変わりはてた醜い姿を見ると一目散に逃げだす。

まさに踏んだり蹴ったりです。
本当にこんな体験をした女性がいたら、相当なトラウマになるはずです。

これが神話として日本人にずっと受け継がれてきたのです。
日本の女性の無意識に、「自分だけ犠牲になって報われない」「ずっとは愛されない」「私の愛は報われない」という刷り込みがされたとしても不思議ではありません。

イザナミの最後の捨て台詞(?)は
「お前の国の人間を1日1000人殺してやる」です。

命を産みだすはずの女性が、「大量殺戮してやる!」とは、どれほど女性としての尊厳を傷つけられたのだろう、と想像します。

日本人の起源である母なるイザナミが、「私の愛は報われない」と思っている?
大量殺戮したいほど男を憎んでいる?
もしそうだとしたら、子孫たちは「もうそんな想いはしないでください」「どうか尊厳を取り戻してください」と祈るような気持ちになると思います。

そう考えると、炭治郎がムキになって「醜女じゃない!美人だよ」と反論する場面はとても納得できます。

ちなみに、最終巻のラストで、時代は大正から現代に変わり、主人公たちの子孫たちが描かれています。
その中で、炭治郎の子孫カナタが、禰豆子と善一の子孫である燈子と会話している場面があります。
カナタは、燈子にこう言います。
「燈子が地球で一番可愛いと思うよ」

炭治郎の禰豆子への「醜女じゃない、美人だよ!」という想いが、時代を超えて受け継がれて、見事に「陽」に転じているな……と思います。

画像6

©︎集英社 鬼滅の刃

そして、炭治郎は禰豆子を鬼化させないように、背負い箱の中に禰豆子を入れ、ずっと一緒に行動します。この描写は、この世と黄泉の国の間を岩で塞がれ、離れ離れになったイザナミの孤独を昇華させていると考えられます。

炭治郎は最後まで禰豆子を守り抜き「陽」に転じました。炭治郎は、女性にとっての理想の男性像でもあるんですよね。

他にも「陽」の部分は、禰豆子が竹を口に咥えて、人間を食べないようにしている点で表現されています。古事記では黄泉の国の食べ物を食べてしまい、醜い姿になりましたが、禰豆子はこれを免れています。
また、禰豆子自身が戦いながら人間側の役に立つことで、「黄泉の国の住人にならない」ことが表現されています。

(2)鬼はイザナミの怨念の象徴

鬼の始祖である「無惨」は、イザナミの怨念の象徴と考えられます。

鬼の始祖として人間を食らい続ける無惨(手下の鬼たち)は、「1日に1000人殺してやる」と捨て台詞を放ったイザナミの激しい呪いのようです。

最終巻で、炭治郎が無惨を継いで鬼化するのか人間に戻るのか瀬戸際で、人間を選んだ場面があります。
この時、無惨は「私を置いて行くなアアアア!!」と悲痛な叫び声をあげています。
このセリフ、イザナミの醜い姿を見て逃げていくイザナギへのセリフに思えてならないのです。

画像5

©︎集英社 鬼滅の刃

この場面は特に、無惨(鬼たち)の「見捨てられ恐怖」「孤独」が出ていると感じます。

6.「愛する人を守れない」トラウマを持つイザナギ

次に、イザナギについて書いていきます。

画像3


イザナギは、とても短絡的で、産まれたばかりの我が子を怒りに任せて殺してしまいます。
そして、イザナミを黄泉の国まで追いかけていったのはいいですが、変わり果てた姿を見て逃げ出してしまいます。

ひと言で言うと「未熟な男性」です。
男性が成熟すると「愛する人を守り抜く力・責任」を身につけます。

鬼滅の刃では、炭治郎が命懸けで禰豆子を守る姿、鬼殺隊が戦いの中で成長していく姿を通して、「陽」に昇華させています。

7.「役に立てない(無価値感)」トラウマを持つカグツチ

画像4

火の神カグツチは、産まれてすぐ父親であるイザナギに殺されます。
更に、自分が原因で母親のイザナミが死んでしまいます。
これも相当なトラウマです。
自分は世の役に立てない、無価値な存在だ、そんなトラウマを死んだ後も抱えていたとしても(?)不思議ではありません。

鬼滅の刃では、炎柱の煉獄さん、炭治郎に「陽の姿」として反映されています。
映画は、煉獄さんがメインキャラクターでしたが、柱として命を懸けて炭治郎たちを守り抜く姿は、子ども・女性だけではなく大人の男性も号泣したようです。
(守り抜くという意味で、イザナギの陽の反映でもありますね)

煉獄さんが死ぬ直前に、亡くなったはずの母親が現れ、煉獄さんが「母上、私はきちんと役目を果たせたでしょうか?」という趣旨の問いかけをします。
母親はニッコリと頷き、煉獄さんは安心した表情になります。
この瞬間に、カグツチのトラウマは昇華された、と私は思います。

また、炭治郎が「日の呼吸」「ヒノカミ神楽」の伝承をすることで、カグツチの火の神としてのお役目をきちんと果たしていますよね。時代を超えた伝承を通して、産まれてすぐ殺された陰を陽に転じています。

8.命の起源への祈り

古事記は日本人の大元の祖先について書かれた物語ですが、その祖先たちの悲しみや怒りを、鬼滅の刃の作者は「愛」で昇華させたのではないか、と思いました。

この作者は女性なのですが、まさに女性ならではの視点と愛を随所に感じます。
大きく根源から包み込み、命を慈しむ深い愛です。
最終巻のラストで、8ページに渡り、登場人物たちが読者に語りかけているかのようなセリフがあります。

画像7

©︎集英社 鬼滅の刃

「命の起源イザナミから子孫への祈り」のようでもあり、
「子孫から命の起源への祈り」のようでもあり
「根源は愛だった無惨の真の姿が現れた」ようでもあり
「作者から読者への祈り」のようでもあり、
色々な読み方ができます。

その中に「自分の命よりあなたの命が重かった」というセリフがあります。
直接的には鬼殺隊のメンバーのセリフなのでしょうが、私はイザナミの陰の反映であった「無惨」が、物語を通して根源が癒され、それを見届けた読者の眼差しによって昇華され、本来の愛の姿を取り戻した……そんな風にも思えるのです。

鬼滅の刃は異例の大ヒットを飛ばしましたが、人気絶頂の最中で完結し、作者は故郷に戻るそうです。
この引き際のよさ!
このあたりも、権力などにしがみつかない女性ならではという感じがします。

折しも世の中は、2020年12月22日から、約250年振りに「土の時代」から「風の時代」に移りました。
風の時代は、今までの固定概念や信念・男性的な物質主義を破壊し、「目に見えないものを大切にしていく」時代と言われています。人々と繋がり方も、地位や権力・お金のあるなしではなく、居心地のよさ・共通する価値観で共鳴し調和していくと言われています。

あらゆる境界線を超えていくボーダーレスの世界でもあるので、陰陽といった「2極の世界」も終わりに向かうと思います。

その直前の時期に鬼滅の刃は登場し、日本人の奥底に受け継がれてきたマイナスの感情を癒し・昇華させ、お役目が終わると風のように去っていく。

鬼滅の刃という作品を通して、日本の命の起源からの祈りが現代に届き、そして読者が命の起源への祈りを届けた。そんな気がしてなりません。

       ~おわり~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?