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私のこどもは私のもの?

先日、ある知り合いの年配の女性が、車で接触事故を起こしました。
そのとき、相手の若い父親が言ったこと。

「認知機能が衰えてるんじゃないですか⁉︎
まず子どもに謝ってください❗️」

かなり厳しい言葉ですが、中でも「子どもに謝って」の一言が、私にはひっかかりました。

一見、子どもを思いやるようなこの言葉。でも、どこか我が子を自分のモノとして認識し、それを傷つけられた(ケガはしてませんが)ことにいきどおっているように思えます。

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生命(いのち)は、誰のものだろう?

先日、生物学者と宗教者の対談をYouTubeで聞きました。そのなかで、こんな話がありました。

「赤ん坊は、生まれた瞬間は【生命】そのもの。

それが、ある時から【私】という認識がめばえる。

そして、ただ生命であったものが

【私という存在】になり、

やがて生命は【私の生命】になる」

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自我のめばえは自然なこと。ただ、もともと誰のものでもなかったはずの生命を、「自分のもの」として捉えることから我(が)が生まれ、執着となります。

まして我が子は他人。本来なら自分のものではないはずなのに、いつの間にか大事にすることを通り越して、執着していることがあります。

もちろん、子どもを守るのは親の務め。親としての認識がないと、社会は成り立ちません。
ただ、時々その思いが過剰になってはいないか…
そんなことを、自戒を込めて考えた出来事でした。


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