古川いづみ(釋清恵)@なむなむ寺

『なむなむ寺』エア住職こと、古川いづみです。「エア」ですので、僧侶ではございません。 …

古川いづみ(釋清恵)@なむなむ寺

『なむなむ寺』エア住職こと、古川いづみです。「エア」ですので、僧侶ではございません。 30代半ばで仏教に出あい、2023年に西本願寺(浄土真宗本願寺派総本山)にて帰敬式を受式。法名「釋清恵」をいただきました。日々仏教の教えにふれて思うところを発信していこうと思います。

最近の記事

人間は面倒な生きもの。だからこそ...

先日、エンジニアの友人による「デジタル勉強会」に参加しました。 日常的にパソコンやスマホに触れることは多いものの、感覚人間の私は「デジタルに強くなりたい!」と願っていたため、大変ありがたい機会でした。 クラウドとは? アカウントとは? 超基本的なことから、AIやチャットGPTでできることまで。 短時間の間に、さまざまなことを教えてもらいました。 チャットGPTに質問を投げかけると、 「そうですね、お任せください」 などと優しいあいづちをうってから、的確な回答をしてくれます

    • 最近、スキップしてますか?

      「危ないから、はしっこ歩いて!!」  小学1年生の次男は、何度よびかけても車道へはみだしてしまいます。 しかも、スキップをしながら。 先日、次男が近所へ散歩へ行くというのについていきました。 学校から帰ったばかりで疲れているかと思いきや、寒さもかまわず薄着で外へ。 ゲーム好きで、普段は部屋の中で寝っ転がって指だけ動かしていることもありますが、それでもこどもはこども。外へ出れば元気いっぱいです。 昔、ある有名コピーライターの方が、コラムでこんなことを書いていました。 「

      • 死を想い、いまを生きる

        先日、雨のふりしきるなか、お世話になっているお寺の法座(寺で定期的に開催される仏教行事)に参加してきました。 浄土真宗の法座には、たいてい「布教師」と呼ばれる法話専門のご講師が来られます。この日は女性僧侶の方がお見えでした。 この日のテーマは「仏教婦人会のメリット・デメリット」。いつもの ”仏様のお話” とはおもむきの異なるタイトルにびっくりしましたが、内容は大変すばらしいもので、あまりに感動して帰宅後もずっとそのことについて考えていました。 ******* 「私たち

        • 英会話と仏教の共通点

          仏教を学んでよかったこと。 そのひとつが【自分の枠に気づくようになった】ということです。 例えば家族とケンカをしたとき。 先日も、新しい家電を買う買わないで、夫と不穏な空気になりました。(ケンカの原因は、いつもくだらないですねw) 最初は「私が正しい、相手が間違っている」と思っていたのですが、やがて自分の枠にとらわれていたことに気づき、冷静になることができました。 どうやって枠に気づいたかというと、それは「仏さまから見ればどうだろう」と考えることです。 『西遊記』の孫

        人間は面倒な生きもの。だからこそ...

          安心してください、はいてますよ。

          「いつか法話の聴けるカフェをつくりたい!」 3年ほど前から、そんな夢を持つようになりました。 そして昨年、広島仏教学院に入学し、仏教を学びながら夢をかなえるための行動をしてきました。 家族や友人に想いを伝えること。初めてのお寺の門をたたくこと。コーヒーを習う、起業セミナーに行く、物件を探す…。 話を聞きたいと思えばアポを取り、面識のない方にも会いに行きまくりました。 何の肩書きもコネクションもない主婦が、突然たずねてくる。「何がしたいんですか?」…うまく伝わらないこと

          安心してください、はいてますよ。

          私たちは、同じ山の頂上をめざしている。

          仏教には、いろんな「宗派」があります。 私が所属しているのは浄土真宗。約850年前、鎌倉時代の日本に生まれた宗派です。 仏教は、もとをたどれば約2500年前、インドでお釈迦さまが悟りを開いたことに始まりました。 お釈迦さまが亡くなってから、その教えを大切にする人たちがさまざまに解釈し、多様な道(宗派)が生まれたのです。 *** 今日、仏教徒のタイ人の女性に出会いました。 友達が主催する英会話カフェでのこと。 なんとかカタコトの英語で、彼女と仏教について語り合いました

          私たちは、同じ山の頂上をめざしている。

          私のこどもは私のもの?

          先日、ある知り合いの年配の女性が、車で接触事故を起こしました。 そのとき、相手の若い父親が言ったこと。 「認知機能が衰えてるんじゃないですか⁉︎ まず子どもに謝ってください❗️」 かなり厳しい言葉ですが、中でも「子どもに謝って」の一言が、私にはひっかかりました。 一見、子どもを思いやるようなこの言葉。でも、どこか我が子を自分のモノとして認識し、それを傷つけられた(ケガはしてませんが)ことにいきどおっているように思えます。 ***** 生命(いのち)は、誰のものだろう