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読書日記 | 6/17〜6/23

6/17(月)
島根県隠岐郡海士町にあるEntôというホテルに滞在していた。
(6/17(月)の内容は以下の記事からの抜粋)

5時半に起床した。お風呂にいく。
旅行に来ているときしか朝風呂はしないけど、なかなか心地が良い気がする。ただお風呂そのものを気持ちよく感じているのか、お風呂に入ってるときに感じる朝日の光を心地よく感じているのかはよくわかっていない。

この2日でぼんやりと考えていた考え事をある程度まとまりを帯びていた。満足いくような気持ちになりながら朝食まで空いた30分くらいを過ごした。
朝はお茶漬けと多くのおかずだった。セルフサービスの牛乳がとても美味しい。乳製品が大好きな僕としてはとても嬉しい。お腹を壊すかもしれない可能性を忘れて2杯飲んだ。

今日はチェックアウトである。時間は11時でまだ時間がある。朝食を終えて部屋に戻ってから、帰る支度をする。今回考え事をするために必要そうな本を20冊ほどキャリーケースに詰めてきた。ただ実際に手に取った本といえば、2冊だけだった。考え事をするときに追加の情報はいらなかった。
東京で生活していると、毎日いやでも多くの情報を目にする。電車の広告も、30分刻みの仕事のスケジュールも、たくさんの読書も。海士町にきて思う。すでに自分の中にはたくさんの考えや思いが沈殿していて、静かな場所で、ゆっくりと過ごしていると、沈殿していたものたちが姿を表す。
次に旅行に来るときは5冊までにしようと思う。厳選して無理に持たない。

準備を済ませ、少し時間があるなーと思い、Entôの島に関する展示があるフロアをうろうろしていた。すると気にかけてくれたスタッフが話しかけてくれて、海士町のことや、スタッフの方について色々と教えてもらった。その方は大学4年生で1年休学して、インターンとしてここに来ているらしい。「物価が高くて…」という切実な思いも、島での人との日常的な関わりも、楽しそうに話してくれた。初めましての人と話すときにどうしても無言になってしまうときがある。そういう時に沈黙を律するように淡々と話題が振られるよりも、ただただ待ってくれたり、自分が待っていると、少し気まずいけれど、嬉しい気持ちになる。何か問いかけに即レスで返ってくる返答よりも、うーんうーんと考え込みながら宙を見上げて、沈黙の末に練り出されるぼんやりとしたまとまりのない言葉を聞けたときの方が嬉しい。スタッフの人はそういう時間を過ごさせてくれたように思う。島ならではのレスポンススピードはどこか心地いい。東京で3秒待つと、遅い!と心で思ってしまうときがある。速さを求めるよりも、遅いことに価値を見出したい。一般化して抽象化された最適解よりも、取り留めのない個人的な言葉を掬い上げたい。
客室にあった、お客様アンケートに回答する。熱烈な想いをひたすら書き殴り、その長文っぷりに読んでくれるだろうか…と心配になるほど書いた。

海士町から本土に向かうフェリーは15時から乗船可能。チェックアウトした後もまだまだ時間がある。フロントのスタッフに聞いたところ、チェックアウトした後も館内で作業などを続けてもいいと教えてもらった。お言葉に甘えて、13時を過ぎるくらいまで作業を進めた。PCに向かい、ちょうどのこの日記を書いていた。何文字書いたかわからない。島での静かな時間は繊細な心の動きを汲み取れるような気がする。覚えている限りを言葉にした。

午後に差しかかるくらいに、Entôを後にした。フロントのスタッフの方に「お世話になりました。」と伝えると笑顔で、でも凛とした顔立ちで送り出してくれた。プロフェッショナルとはこのことだ、と少ない所作の中でも見てわかる。

菱浦港(海士町)のすぐそばにある、レストラン船渡来流亭で昼食を食べた。寒シマメ(するめいか)漬け丼と岩牡蠣春香という牡蠣を生で、それから食後につなかけというパン屋の食パンを使用したハニーフレンチトーストをいただいた。食事はどれも美味しい。

食事を終えてから、本土の港から空港までのタクシーを予約していなかった。予約しようと電話をするも、人手不足でどこも予約でいっぱいだそうで。当日予約できるだろうと甘くみていた。公共交通機関で本土の港(七類港)から米子空港に行くには、七類港から境港までバスで行き、境港から米子空港駅までJR境港線で向かう。フェリーからバスの乗り換え時間が5分。バスから電車の乗り換え時間は3分。心配性の僕は、とにかく心配でそわそわしていた。特にフェリーからバスの乗り換えに失敗すると、今日東京に帰ることができない。手に汗握るとはこのことである…。

タクシーについて少し調べると、深刻な人手不足と高齢化で、年々タクシー会社が廃業しているらしい。確かに電話で対応してくれた方々もおじいさんが多かった。それに伴い、バスを増やしたと記載があった。それにしても5分は短過ぎるように思う。せめて10分待ってほしい。
フェリーでは3時間ほど揺られた。行きで乗船した高速フェリーとは違い、座席はなく、カーペットに横たわっている。その光景が何がか微笑ましく感じた。(体は少し痛くなったけど…)

船内では、引き続き考え事を少しばかりした。30分くらいして飽きて、Amazon Primeで「有村架純の撮休」の4話と5話を観た。前にも何回か見たことがある好きな作品。
下船の10分くらい前に準備万端にして、リュックも背負い、降下口に並ぶ。

降りて少し早歩きでバス停に向かうとすぐにわかった。なるほど、それほど広くない。一安心で胸を撫で下ろし、運賃500円を支払い、バスに乗った。
バスから電車への乗り換えも難なく終えて、空港に向かう。JR境港線には、僕と同じキャリーケースを抱えた乗客と、高校生が多く乗っていた。自分の全く知らない土地でも多くの人が生活しているという当たり前のことに改めてびっくりとしていた。籠って狭い世界で生きるよりも、交流して、人と関わり合いたい。今回の旅行を通じて、そのように思うことは多かったと思う。

米子空港から羽田空港までの飛行機は、梅雨前線の影響もあり、かなり強く、そして長時間揺れた。ジェットコースターを乗っている時に感じるような内臓をひゅっと持ち上げられる感覚を何度も感じる。少し怖い。座席にしがみつき、何とかすまし顔で過ごすけど、手はしっかりと汗をかいている。

飛行機が安定したくらいにPCを開いて、あらかじめ開いておいたクレジットカードの利用明細画面を眺めて、今回の旅行でいくらかかったのかを計算する。移動費と宿泊費、それから食費以外はほとんど、雑多な買い物もしておらず、かなり安く済んだ。海士町が掲げる「ないものはない」は全くその通りだと思う。コンビニはなければ、夜は早い時間にお店も閉まる。ましては日曜に関してはほとんどの店がしまっている。でも島に滞在しているときそれほど不便を感じなかった。それはもちろん短期滞在だったからかもしれないし、ホテルの設備や対応が充実していたからかもしれない。

羽田空港から最寄駅までのバスの帰り道、高速道路を走ってるときに外の景色をぼんやり眺めてて思い出す。子どもの頃、遠出したときの帰り道を。22時を過ぎると眠くなって、そのくせ助手席に乗りたがって、気づいたら寝てしまっていたときの記憶を、なんとなくぼんやりと思い出していた。

23時を少し過ぎるくらいに自宅に到着した。15時に海士町を出てから長い帰り道だったように思う。東京にいる感覚がまだよくわからない。
静かな時間を過ごせた。それでいて、人の温かさも同時に感じることができる体験はこれまでにはない距離感だったように思う。それはベタベタと近い距離で関わるわけではなく、節度がある距離で”個”を持続しながら、接続を感じることができる島。それが海士町だったのかもしれないと振り返る。

”地方”という抽象化した関わりではなく、”海士町”として関わりを保ちたいと思う。次は人を連れていきたい。この体験を共有したい。
また行きたい。強く思う。


6/18(火)
溶けるように眠った。ざっと9時間睡眠だと思う。いつもは7時間前後だからだいぶ長く眠った気分だ。なんだかんだ家のベッドが1番落ち着く。
会社に向かう電車の中で「ぼくたちは習慣で、できている。増補版」を読んだ。

抜歯から2週間ほど経つけれど、違和感はまだ抜けない。ロキソニンを飲むことが日常になりつつある。
仕事は溜まっていたものから順にこなした。昨日の夜くらいからお腹が痛い。ほんのり体調が悪い気がする。ふと、海士町で生牡蠣を食べたことを思います。熱はないから食中毒ではないと思うけど……。

帰りの電車では海士町での出来事を文章にまとめながら帰った。出来事のほとんどは鮮明に覚えており、記録することができたように思う。当時感じた気持ちを保存しておくことは大切なことのように思える。


6/19(水)
朝から頭が痛いような気がする。熱はない。最近は以前より増して体調を崩しやすくなったように思う。どうにか体調管理を徹底したいものだけど…。

小学生くらいの感覚を頼りに考えてみると、どうにも学校や仕事など、多くの時間を費やすいている事柄に興味が持てないときに同時に体調を崩す傾向にある。小学生の転校が多い頃、上手くクラスの人たちと馴染めずに過ごしていた頃は体調を崩しやすくなっていた。大人になってからも仕事に対して上手くモチベートできないときは体調を崩して、仕事を休んでしまうことも多かった。逆に責任感のある仕事をこなし、その仕事に対して、誇らしさのようなものを持ち合わせているときは何年も体調を崩すなんてことはなかった。だから体調を崩しがちになるときは、取り組んでいる事柄について考え直す契機になることが多かった。
向かう電車でも、帰りの電車でも何だか本を読む気分にならずに、ぼーっと過ごして、気づくと目的地の駅に到着していた。
自宅に着いてから、ずっと頭が痛いような気がして、薬を飲んですぐに眠った。何度か起きたような気がする。朧げな記憶だけど。


6/20(木)
仕事をこなし、食事もできて、日常を送れたように思う。
けれど一日中体調がすぐれなく、あまり記憶がない。
自宅に21時すぐに着いてからすぐに薬を飲んで眠った。


6/22(土)
7時に起床した。最近、朝の習慣を追加して、6時に起床し、7時までの間に読書日記とランニングを行いたいとカレンダーに入れていたけど、うまくできていない。見直す必要がありそう。それとも最近は体調が悪いからできてないのだろうか。ランニングに関しては、雨が降ったらどうしようか…。
1時間くらいで支度を済ませて自宅を出た。準備中、久しぶりにラジオ「超相対性理論」をきいた。今回は深井さんをゲストに招き入れて、身体性について、話す会だった。メンバーはやっぱりこの3人が話しているのが落ち着く。

新宿御苑のStarbucksに向かう。移動中の電車で「ぼくたちは習慣で、できている。増補版」を読んだ。

今日も天気がいい。新宿御苑を気に入っている理由は、新海誠の「言の葉の庭」が好きだからだけど。雨の日に東屋に行ったことがない。いつも晴れている(いいことだけど)。新宿御苑のStarbucksは、9時から営業開始で、今の時刻は9:32だ。ほとんどの席が埋まっていた。勉強や作業をしている人も多い。休日にこんなに勉強や作業をしている人がいるのかと嬉しい気持ちが姿を表す一方で困った。少しだけ待ちぼうけていると席が空いたので座ることができた。

1時間半くらい旅行の記録をまとめた。先週の土曜から今週の月曜日までの3日間、島根県隠岐諸島海士町に行ってきた。

その後は、13時半くらいまで習慣を見直したり、基礎デザインの勉強をいくらかした。基礎デザインの勉強と言っても、以前少し読んだ、「間合い 生態学的現象学の探究」というアフォーダンスについて書かれた本を読みながら、鉛筆で本にあれこれ書き込んだ。最近はボールペンでも、万年筆でもなく、鉛筆で文字を書いているけど、さらさらと書けることと、書いている時の音が心地がいい。

勉強がキリ良くなってから、新宿御苑を少し散歩して、近所で食事をしてから、西新井に向かう。移動時間は1時間くらいでまあまあ遠い。でも自宅が比較的近い。西新井にはよく行く「堀田湯」という銭湯がある。そこに向かう。目的はサウナだ。
向かう電車の中で「ぼくたちは習慣で、できている。増補版」を読んだ。

サウナは少し混んでいるくらいだった。人は多いが静かでマナーが良いお客さんが多かった。外気浴のとき、静かな方が整える。流れる音も静かで心地いい。無事3セット行った。ほとんど何を考えていたか覚えてない。ただ心地よく過ごしたことは記憶している。
西新井の下町っぽさはどこか好きで、何度も訪れたくなる街のように思う。

帰り際、地元のスーパーの前を通ると、タイムセールをやってるのか、「2個で100円だよー!」という声だけよく聞こえてきた。何が2個で100円だったのかはわからない。
北千住のStarbucksの寄り、少しばかり基礎デザインの勉強をしてから自宅へ向かった。

なんとなく充実した1日のように思う。旅行に言ってる間に考えた週末の過ごし方は、実際過ごしてみるとまずまずの充実度だったように思う。習慣を継続しながら、引き続き好きなものだらけの習慣にしていきたいと思う。


6/23(日)
7時のアラームの目を覚ました。起きた後もぼんやりしていた。15分くらい経ってからプロテインを飲んで、昨日分の読書日記を書き始めた。朝に書くことは気持ちがいい。でも同時に家で書くことは難しい。人目がないとうまく作業に没入できない。(それは多分かっこつけなのだけど)

8時までだらだらと日記を書いた。8時から久しぶりに沈殿物共有会のメンバーと話ができる。約1ヶ月ぶりくらいだと思う。話をするとどうやら3人全員が心境の変化というか、今後のやりたいことの具体化というか、変化というか、が聞いてわかった。旅行中に考えていた考え事を2人に話せたことも嬉しかった。時間が経過するにつれて、ワインが発酵するように各々の個性が出てきて、それが多分「一般的な」人とは逸脱していて、「変な人」になっていっているのが余計に嬉しい。11時半くらいまで話を続けた。

予定ではすぐに出かけようと思っていたけど、なんだか外にできる気にならずにベッドに寝転がっていた。旅行の話の少ししたこともあり、次にどこにいこうかと考えていた。30分くらい自宅にある雑誌やネットの情報、Googleマップを眺めて、長崎の小値賀島に行きたいな、と思った。1日目は福岡に泊まり、2日目にフェリーで小値賀島に行き、3日くらい過ごして、5日目に福岡に泊まって、帰る。5泊6日は流石に長すぎるかもしれないけど。調べると東京から小値賀島までの移動時間は11〜12時間ほどかかるらしく、これを1日で移動するのは辛い気がする。そんなこんなで、行きたい場所の候補を見つけて、スッキリしていた。
天井を眺めながら、このままベッドに寝転がっていたら1日終わりそうだな〜、と考えて、危機感のようなものに襲われたので、fuzkue初台店のWebサイトを開き、16:00〜20:00で予約を入れた。あと少しゆっくりしたら家を出ようと思う。

支度を済ませ、初台に向かう。最寄り駅からは50分ほどある。本を読んだり、アニメを観たりしているうちに初台に到着した。

fuzkueは駅を出てから、2分くらいですぐに到着した。店内の様子を覗くと、満員のようだったので、少し外で待つ。ガラスドアのそばでウロウロしていると店主?らしい(あれが阿久津さんだろうか…)人が声をかけてくれて、もう少しで片付くから少しだけお待ちくださいとのことだった。丁寧な対応だ。fuzkueではカフェオレとコーヒーそれからチーズケーキを注文した。それにしてもチーズケーキは非常に美味で、幸せな気持ちになった。また注文したい。

fuzkueで過ごしている間の4時間はずっと「間合い 生態学的現象学の探究」を読んでいた。音を立てないように鉛筆を使いながら、本や紙に書き込んで、理解を進めていく。なかなか難しいけれど、うまく咀嚼し、noteなどにまとめたい。6月からアフォーダンス、デザイン、哲学の一部など、いくらか勉強したいと思っている分野があるので、それらをまとめる役割をnoteに担わせたい。

帰りの電車ではひたすらアニメ「呪術廻戦」を観ながら帰った。前に一度見ているので、再視聴である。何度観ても、五条悟の覚醒シーンは素晴らしい。アニメや映画の中で表現される「最強」の中でも最もリアルに感じる。一般的な最強になる過程は、仲間がやられたり、大事な人が犠牲になったりして、それらを同期に怒りの感情と共に強くなり、「最強」となる。ただ五条悟の場合は、動機は不明であり、最強状態になっているとき、ただ自然や動物の声が心地がいい。それ以外はどうでもいい、というようなことを心情表現の中でする。これは本来的にはわからないけど、わかるような気がする。僕らが何かを成し遂げたい、行いたいと思うとき、それらは強い動機があるというよりも、ただ気持ちいい、ただ心地いい、勝手に動く、ということの方がチクセント・ミハイがいう、フロー状態に近いように思う。ただ単にその結果として、救われる人がいる、貢献できる、だけであるようにも思えてくる。それらはバフにしかならず、本来的な根源的原動力は、「直感の心地よさ」のように思う。

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