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読書日記 | 3/11〜3/17

3/11(月)
9時くらいに家を出て、会社に向かった。
向かう電車で「DESIGN SCIENCE_01」と読んだ。
ページをめくるとデザイナーの深澤直人さんの言葉からはじまる。

「私は人々がものの良し悪しに無頓着になってしまうことを危惧しています」と言うと、平野啓一郎さんは、「無頓着には、一種の悪循環もある気がします。 今は日本も世界もすっかり落ち目で、 生活苦が日常の至る所に浸透しているので、まず良いデザインに接する機会がなく、また日常のデザインの粗悪さに不満は感じていても、そのことを気にかけているとストレスになるので、半ば無意識的に「無頓着」になっている。積極的/消極的な鈍感化で、日常をやり過ごしている。そうすると、作る側も、コスト意識ばかりで、デザインについては無頓着でも構わない、と考えてしまう」と、おっしゃった。

人は自分自身で感じることに億劫になっている気がする。その反面、情報やデータ分析によって良し悪しを早く知りたがる。他人の意見や感じ方に対しては敏感に反応する。だから何らかの社会的問題に対しては問題の動向や科学的解決策や、その根拠や裏付けを知りたがる。それは当然とも言えるが、まずは自らが感じ取った感覚によって自分なりの答えを導き出してもよいのではないかとも思う。

DESIGN SCIENCE_01』(P2〜4、深澤直人著、学芸みらい社)

会社に着くと、私の座席周辺の人たちは忙しそうに掃除をしていた。一部の人たちが別オフィスに移動するらしかった。仲良くしていた周囲の人たちもいなくなるので少しさびしい。
1時間後くらいには、周辺40人分くらいはデスクが空になり、その中で「1人」という状況になっていた。

夕方、本屋に寄り、「ハサミ男」を購入した。最近は以前より、ミステリーを読む機会が増えたように思う。

仕事は19時くらいに切り上げた。そのあとも21時くらいまで会社に残り、個人開発の作業を行った。

仕事帰りの電車と家でお風呂に入っている時間、それから眠る前の布団の中で「ハサミ男」を読んだ。


3/12(火)
朝、10時すぎに目を覚ました。完全に寝坊である。
早朝、寝ぼけながらいくらか目を覚ました記憶があるけれど、その場の眠気に負けてしまい、気づくと眠ってしまっていたらしい。
とにかく急いで準備をする。

会社に向かうまでの電車で「DESIGN SCIENCE_01」と読んだ。

 イタリアの精神分析家で作家のルイ・ジ・ゾヤは言っている。

「豊かな今日の西洋社会において食糧難が問題視されることはもはやありません。
一方で、肉体的な糧から精神的な糧に意識を移すと、慢性的な栄養失調状態で、美に対する飢えがあることも否めません。私たちは過去に例のない飢餓に陥っているのです。私たちは絶えず美の欠落にさらされ、否が応でも、失われた景観、凡庸で実用主義の建築、人間の手仕事や配慮が感じられない品々にさらされながら暮らしているのです。
 手仕事の感触を知らずに過ごしているうちに、あらゆるものごとは醜悪化の一途を辿っています。
 私たちは無駄なものに囲まれています。このような環境は、果物の皮のように噛んで吐き出すだけなのです」と。

確かに人類の感性が著しく劣ってきているように思えてならない。 人間は自らの感性に自信を失い、多数の同調者の数によって正解を導き出そうとする。科学的根拠に頼ろうとする。
 数字によって良し悪しを判断しようとする。いわゆる人気の数である。人の「いいね」の呟きに頼り、自ら感じようとすることに億劫になってきている。情報の量が多すぎるせいもあるし操作による購買への誘導である。故に身体機能としての感覚や感受性に偏りが生じて脳を混乱させているかのようにも見える。感覚の劣化は自己を見失うということでもある。

DESIGN SCIENCE_01』(P22〜24、深澤直人著、学芸みらい社)

日常生活の中で、あらゆることに敏感になり、能動的な活動をしていこうというのは非常に難しく思う。
ただ生活をするだけなら、面倒な思考を排除して、思考を他者に委ね、その意見に依拠するのが楽なのは単純明快である。そんな中でも、思考することで、ある種の「豊かさ」に気づく行為そのものが豊かであることに、どうやったら主体を見失わずで、でも能動的すぎない活動の中で見つける、または気づけることが可能だろうかと思う。
それはやはり何らかの営みの中で人と話すことでしか、その感覚を大切にしようと思うことは訪れないのではないかと思う。ただひとりでたどり着くことは困難な道のりに思えてならない。だからこそ身近な人との会話には耳を澄ませて話をしたい。

仕事は、明日のプレゼンに向けての資料作成などで少々忙しく、22時半くらいまで働いた。忙しいけれど、気分はそれほど悪くない。

帰りの電車で「ハサミ男」を読んだ。本が刊行されたのが1999年ということもあり、文章の所々で懐かしさのような、昭和平成的な感覚を感じる。
さて、土日は何をしようか。


3/13(水)
腹痛と寒気で起きることができない。
会社に連絡を入れ、午前中は様子を見て眠ることにした。
12時前くらいに目を覚ました。調子はあまり良くないけれど、熱がなかったので会社に向かう。

13時〜19時すぎくらいまで働いた。会社に行ってよかったと思った。身体を動かしている方が気分が晴れる。

帰りの電車で、「DESIGN SCIENCE_01」を読んだ。

家に着いて、すぐに温船を溜めて、お風呂に入った。お風呂でも「ハサミ男」を読んだ。
適度にミステリーを読んでいると、読書全体がドライブするような気がする。


3/15(金)
午前中、青山ブックセンターに向かった。40分くらい滞在しただろうか。本を数冊買った。

青山ブックセンターを出てからは、歩いて渋谷まで移動して、カフェで少しばかり作業をした。といっても、スケジュールの棚卸と、読書日記を少し書いただけだった。カフェは土日によく行くカフェで平日に行くのは初めてだった。
平日の方が騒がしかった。若者がたくさんいて、皆友人なのだろうかと思うほど、各々が会話をしていたように見えた。
対面の20代前半くらいの若い女性2人が互いの事業について話をしていた。プライベートでは、禅やマインドフルネスに ハマっているらしく、あるお寺に行ったという話をしていた。カフェや電車など、外にいるとき全く関係ない人の会話に耳をすませてしまう癖がある。よくないとはわかっているけど、気づいたら聞いていて、心の中でツッコミや共感をしてしまう。

帰りの電車で「ハサミ男」を読んだ。
なんだか身体が酷く疲れていた。家に着いて横になっていたら、気づくとうたた寝していた。1時間くらい眠ってから目を覚まし、お風呂に入り、また眠りについた。


3/16(土)
9時前くらいに目を覚ました。とても良い目覚めだった。
Takram Radioを聴きながら支度をした。
今日は下北沢にある、本屋B&Bとfuzkueというカフェに向かう。

電車の中で「ハサミ男」を読んだ。
今日はとても天気が良く、気持ちがいい。最高気温は21℃らしい。
11時すぎくらいに下北沢へ着くと、人で溢れていた。公園では子供たちが遊び回り、飲食店では昼からお酒を飲む人もちらほら見かけた。

駅から5分ほど歩いて、本屋B&Bに着いた。
関係性の美学」を購入した。fuzkueのオープンが12時で、今が11時半くらいなので、辺りを散歩して時間を潰すことにした。「ひとり」の時間は大事だと再認識した。別に何を考えるというわけではなく、ただボーッと街を散策する。その時間はとても優雅に思えた。
12時きっかりにfuzkue(fuzkueは、読書専門カフェ)に入店した。2階の寝転がれるスペースで本を読んだ。「ハサミ男」「ぎんなみ商店街の事件簿 Sister編」「人類の会話のための哲学」「関係性の美学」を読んだ。
途中に食べた鶏ハムサンドが美味しかった。

17時くらいまでfuzkueで過ごした。外から聞こえる子どもたちの遊び声と店内の落ち着いたBGMがちょうどよく調和し心地よかった。
18時から美容室なので銀座へ移動する。移動中、「ハサミ男」を読んだ。

久しぶりの美容室だった。髪を切ってもらいながら、最近読んだ本の話とか、映画の話をした。その中で「ボーはおそれている」という洋画をおすすめしてもらった。「ミッドサマー」と同じ監督で、主演はホアキンフェニックスらしい。明日あたり観に行こうと思う。

何だか今日は充実していたように思う。帰りの電車と、家でゆっくりした時間で「ハサミ男」を読んだ。
本に染められた1日はとても嬉しい。またfuzkueに行きたい。店員さんにも顔を覚えてもらえるくらいには通いたいと思う。楽しみがひとつ増えた。


3/17(日)
9時半くらいに日々谷のスターバックスに着いていた。向かう電車で「ハサミ男」を読んだ。

カフェでは、少しばかり作業を行った。久しぶりに読書日記のnoteを書いていた。少し前の過去を振り返り、考えていたことを整理する時間は、自分にとってとても大切な時間だと自覚した。

今日は、映画デーにしようと決めていた。14:20〜17:00くらいまで「52ヘルツのクジラたち」を観て、その後すぐに20時半くらいまで「ボーはおそれている」という映画を観る予定の2本立てだ。

17:02、僕は考えていた。
暴力とは、どのような経路で発露するものなのか僕にはわからなかった。「52ヘルツのクジラたち」を観ている最中ずっと考えていた。僕自身は、サディストでもなければマゾヒストでもないのでどちらの気持ちもわからなかった。江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」を読んだときもまったくと言っていいほど理解しがたかった。もちろん二元論的に考えるようなことでもないと思う。ただDVを行ってしまう人など、そういう人がなぜ暴力というアウトプットになるのかは気になった。

20:42、「ボーはおそれている」を観終えた。
トイレでネタバレサイトをみていた。終わったあとはよくわからなかったけど、公式のネタバレサイトを見て、少し納得した部分もあった。
最近読んだ、道尾秀介の「シャドウ」を思い出した。

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