4/1(月)
8時半ごろに目を覚まし、お風呂を沸かしていた。
朝から熱いお風呂に入りたい気分であった。15分ほど床を掃除をしながら待つ。
最近は気温も高く天気がいい。半袖でもそれほど不便を感じない。
お風呂に入りながら永井玲衣さんの「水中の哲学者たち」を読みはじめた。1時間くらいゆっくりと湯船に浸かった。
仕事へ向かう電車でも「水中の哲学者たち」を読み続けた。
永井さんのこの本のジャンルは、哲学エッセイらしい。固い言葉の哲学と柔らかく感じるエッセイの組み合わせは、この本そのものを鋭く捉えている気がした。読むとき哲学書ほど身構えない。ただダラけた姿勢で読んでいると、不意打ちみたいに背中から針を打たれた感覚になることがある。そして気がつくと、他者とわかりえないということだけが鮮明に分かっていく感覚になり、さびしくなり悲しくなる。でも同時に「私がそばにいるよ」と肩に手を当てた永井さんがそばにいるようにも感じる。
会社を出たのは21時ごろになった。といってもプロジェクトのメンバーとの雑談が盛り上がり、気づくと2時間ほど時間が経過していた。
帰りの電車で「みんな蛍を殺したかった」を読んだ。
自宅に着いてから30分ほど読み続け、気がつくと読み終えていた。
人はなぜ、嫌な気持ちになる本や映画を観たがり、読みたがるのだろう。
苦しみの中に、これまで避けてきた「何か」が垣間見えるからだろうか。
4/2(火)
7時ピッタリに目を覚ました。
「岸政彦の20分休み」を聴きながら支度をする。岸政彦さんの話にはいつも日常がある。ただそこにある。近所のねこの話とか、リスナーからの結論のない日常の話。でもその解釈は、私から見た解釈でしかない。近所のねこに遭遇したことがきっかけに、生きる喜びを感じることもあれば、黒猫を見て不吉な気分になり、死にたくなることもあるように思う。例えば、タンスの角に足先をぶつけたことがきっかけで仕事に行けなくなるかもしれない。
仕事に向かう電車で「水中の哲学者たち」を読んだ。
仕事では1日中、人と話をしていた。「プロジェクトの課題について」話をして、モブプログラミングをして、1日を終えた。
話す前は臆病になるけど、話をしてみたらスムーズに言葉ができてきて楽しいということはよくある。でも話す前は少し怖い。なんだかこの少しの怖さは捨てたくないように思う。
帰りの電車で、自宅で湯船につかる時間で、眠る前の布団の中で、「水中の哲学者たち」と読んだ。
眠る前に心で祈るように思う。水中に誰かいますように。
4/4(木)
会社へ向かう電車で「水中の哲学者たち」と読んだ。
僕は「祈る」という言葉がすきだ。強制や強要のような強いる言葉ではないし、ただただ主体に干渉せずに想うことのように感じるから。僕は強い言葉を使うよりも祈りたいと思う。
仕事は18時くらいに切り上げた。今日はサウナに行く。西新井にある堀田湯へ向かう。
家に帰るときに思った。今日はいつもより「整う」感覚が得られなかったように思う。理由を考えてみると、今日は銭湯に子どもたちが多かった。外気浴をするとき、子どもたちが走ったり、戯れ合うような声がたくさん聞こえてきた。堀田湯は、サウナの中、外気浴ができる場所では、nakamura hakukaやジブリの音楽、坂本龍一など、静かな音楽が流れている。いつもはそこに身を委ねる。今日はそれよりも、子どもたちの会話に耳を傾けていた。
自宅に帰ってから、眠くなるまで、「水中の哲学者たち」と読んだ。
4/6(土)
お昼になるくらいに渋谷の5 CROSSTIES COFFEEで作業を始めた。
向から電車では「水中の哲学者たち」を読んだ。
5 CROSSTIES COFFEEには、時折来ることがある。スクランブルスクエアの17階にある。ところで僕は高所恐怖症で、高い場所にいると確かに怖い。
にも関わらず、わくわくするようなハラハラするような感覚も同時感じる。
エレベーターで高層階に上がっているとき、手すりを握らないと怖くて上がれない。癖になってるみたいに何度も来てしまう。
夕方になる頃、井の頭線で渋谷から下北沢に移動する。最近ようやく、渋谷の駅間の移動をスムーズに出来るようになってきた。急行だったので下北沢まで5分もかからなかった。
街にはそれぞれの色があって、渋谷は少し疲れる。新宿はとても怖い。神保町は今肩の力が抜けすぎる。下北沢は丁度いい。力を抜いたまま、背筋をピンとできる感覚になる。
fuzkueで本を読む。
入店して、すぐにアイスコーヒーとキーマカレーを注文する。キーマカレーはキーマカレー自身も美味しいけれど、なにより副菜がいつも美味しい。
食事の豊かさとは、副菜の充実度ではないかと思う。
本は、「水中の哲学者たち」/「さびしさについて」を読んだ。
下北沢駅/小田急線/南西口を出てすぐ目の前にある「cinema K2」という映画館の看板が可愛くて、いつも写真を撮ってしまう。
4/7(日)
もうすぐ午後に差しかかるくらいの時間に友人と堀田湯へ来ていた。
人とサウナに来るのは初めてである。他人とサウナに入っているとき、みんなはどのように過ごしているのだろう。サウナのタイミングも無理に合わせたくない。外気浴でも会話をするよりもただただ個でありたい。
ただそれは一緒に来た友人も同じだったようで、少し安心した。
堀田湯を出てから、目の前にある「居酒屋」という名前の居酒屋に入った。
鉄湯上がりのビールはうまい。大体15分経つごとに、地元の40〜60代くらいのおじさんが集まってきて、テレビ中継の競馬を見ながら「あー、だめだこりゃ」「話に何ねえ」など、そんな声がちらちら聞こえてくる。
なんだが”居酒屋”という名前が似合っている店だと思って少し嬉しくなった。こういう日常の会話を聞ける距離で飲み食いできるのはなんだか嬉しい。wikipediaで「居酒屋」を調べてみると、次のように記述されている。
まさに「居続けて」飲んでいるお客さんだった。今日は常連客の方々に居場所をお裾分けしてもらっている気持ちでお酒を嗜む。
店を出たあとも少し飲み足りないという話になり、近くのサイゼリアに入った。高校生ぶりのサイゼリアは楽しかった。びっくりしたことは高校生の頃から値段が変わってないことだった。ワイン/ピザ/サラダ/ハンバーグを頼んで、2000円前後。
ああ、今日は、久しぶりに友人と休日を過ごした。