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歴史番組感想【歴史探偵「千利休」】

 茶の湯を大成させた千利休
豊臣秀吉に寵愛され、政治にまで関与するようになった。
しかし、最期は秀吉から切腹の命を受け、非業の最期を遂げることになった。
利休はなぜ切腹させられたのか、そして茶の湯をどう変革したのか、について迫っていく内容です。

 利休は秀吉から大変寵愛されていたのに、なぜ切腹させられなくてはならなかったのか。
様々な説が提唱されています、家康と共謀して秀吉毒殺説ってありえないだろ・・・。
なので、当時書かれた史料を丹念に読んでいき謎に迫ります。
利休切腹の理由として書物に記された理由は二つだけ。
まず、茶器を高値で売ったから、そして大徳寺に自分の木像を掲げて秀吉にその下を通らせたから

 しかし、これらの理由はいいがかりの可能性が高い、とのこと。
利休は商人なので茶器を高値で売るのは当然のこと、そして木像を掲げたのは大徳寺のほうで、しかも1年も前のことだった。
ああ、そりゃ完全に秀吉のいいがかりですね。

 そして、利休切腹の裏には石田三成の存在があったと専門家の先生は推理します。
秀吉を援助していた豪商と利休を会わせないようにしていたり、三成は怪しい動きをしているのが理由。助教証拠から判断したそうです。
まあ、確たる証拠があるわけではないので、本当かどうかはわかりません。
でも、あの三成ならやりそうだなと思ってしまいました。

 利休切腹の真の理由は、茶の湯の場で行われる密談政治が過去のものになったから。
秀吉が関白に就任して、茶器の代わりに官位を与えることが家臣を支配できるようになっていった。
それで、利休は邪魔になり秀吉に切って捨てられて、切腹という形になった。


 利休が力を持ちすぎていたため、隠居させてもどこかの大名が会ったりしたら、政権内がザワつく。
それで、消えてもらうしかなかったのでは、というのが河合先生の考えです。
なるほど、利休が力を持ちすぎたことが原因ですか。
不分相応に権力を持ってはいけないんですね。

 利休はそれまでの茶の湯を変革した。
それまで、茶の湯の場には中国製の高価な茶器が使用されていたものの、利休は日常で使われているものを使うようにした。それがわび茶のはじまり。
さらに、日本製の茶器を特注して作らせた。
それが楽茶碗というもので、楽家という家が一子相伝の技で代々作っているとか。
この楽家が16代目だったか、今も続いているというのがすごいですね。

 利休は茶の湯を通して、人と人の心が通じ合う場を目指した。
茶の湯の庵ににじり口を作って刀をもちこめないようにしたりして、茶の湯の席では人と人が平等に接することができるようにした。
これがまた切腹の原因だったのではと推測されます。
秀吉は権力のピラミッドの頂点にいたかった、だから茶の湯の席で平等概念を持ち出されるのは困る。
そこで、利休に消えてもらおうということになったと。

 利休は政治に携わらないで、茶の湯に専念していれば幸せに人生を終えることができたんじゃないですかね。
でも、利休が非業の死を遂げたことで、茶の湯が後世にまで残ることになった、と聞いたことがありますね。
利休の句からも見えるように、本当は政治には携わりたくなかったのではないでしょうか。
秀吉に寵愛され、最後は捨てられた千利休。
その人生は果たして幸せだったのか・・・?


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