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年下に「頑張れよ」と言う心境。

駅のホームで電車を待つ。

ダイヤはわかっているけど、
癖でついつい時計を気にする。

汽笛を鳴らして到着する電車。
乗り込む私。

やっと乗れた電車のなかで、吊り革に掴まって眠る。

次の駅に着くと、
数分前の自分と同じように電車に乗りこむ客。

次の駅も、その次も同じように繰り返している。

きっと私が乗った駅でも、
また次の客が電車を待っているのだろう。

そんな“繰り返し”の日常だ。

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私は今23歳で、
0歳から1年を23回ほど繰り返してきた。

電車で座席に座りながら英単語帳を読む高校生を見ると、
予備校と自宅を往復していた高三の自分を思い出してしまう。

「今日はセンター試験です」というニュースが流れると、
そうか今日はセンター試験かと、受験生じゃないのに気が引き締まる。

自分の人生ではセンター試験は過去のものだけど、
誰かの人生では今、センター試験が現在進行形で行われているのだ。

だからこの社会は、同じことを違う人が何度も繰り返している。

自分より年下の人と接すると、
過去の自分と重ね合わせて懐かしくなって、

もう自分には二度と来ない時間を過ごす彼ら彼女らが、
羨ましくて仕方がなくなる。

自分より年上の人と接すると、
これから自分が辿る道筋を想像して、

自分もいつかこんな風になるのかとか、
このままでいいのかとか、いろいろなことを考える。

少し前の自分を今、誰かがリピートしていて、
未来の自分は今、誰かがやっている。

そんな社会はなんか電車みたいだなと、ふと思った。

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しかし、だ。

同じ“ような”ことを違う人が繰り返す社会だけど、
まったく同じということはない。

なにかがちょっと違う。

私は大学3年生の時に買ったリクルートスーツを、
結局一度も着ることがなかった。

だから街で就活スーツを着て歩いている人間を見ても、
「ああ、頑張ってるな」くらいの感想しか抱かない。

逆に大きなリュックを背負って旅する若者に出会うと、
数年前の自分がフラッシュバックしてくる。

基本的に人間という生き物は、
自分自身の経験に基づいて他人を判断している。

経験したことがないことも、
自分の経験則を適用してわかったことにする。

自分がその時期にしたことを、
その時期の自分より若い人にさせたいと思う。

でもやっぱり、その他人は自分とちょっと違う。

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自分より経験のある人から助言を受けたら、
それは自分の人生の判断材料になる。

しかしその助言はあくまでその人の経験則で、
自分の人生にそのまま適用できるとは限らない。

ケースバイケースだ。

それは自分より若い人と接するときも、
考えなきゃならないことだと思う。

同じような流れで時代は進み、
そしてちょっと違う人生をみんなが生きている。

人生は一つひとつが、とてつもなく長くて深いのだ。

だから自分の経験を押しつけず、
人生の選択肢を背中で語る大人になる。

他人の人生を前に私は、
「頑張れよ」くらいしか言えないから。

頑張れよって。

いろいろな気持ちを込めて。

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