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ふじりんごとラジオが好きです。井沢のぶこ グラフィックデザイナー, イラストレーター,…

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ふじりんごとラジオが好きです。井沢のぶこ グラフィックデザイナー, イラストレーター, 書き出し小説大賞, 文芸ヌー(井沢) お仕事のお問合せ→ https://izawanobuko.blogspot.com/p/contact.html

マガジン

  • 文芸ヌー(「井沢」名義)に書いた作品集

    生活に負担の少ないブンガクを。 文芸ヌー(https://note.com/bungei_nu)は、主宰天久聖一さんとデイリーポータルZの「書き出し小説大賞」から飛び出した文芸集団。書き出しのみを書いてきた作家たちがちょっと長いのを書いていて、井沢もこんな作品を書いてます。

最近の記事

歯列矯正 〜8ヶ月で揃ったよ

インビザライン矯正を始めて8ヶ月。歯は動き終わって表裏あちこちに付いていたアタッチメントが取れました!わーい ロッククライミングの掴むところみたいなアタッチメントが無くなったことで舌も唇も内頬もすっきり。地味にずっと突起が当たっていたんだな。久しぶり、歯の表面! 今日からゴムかけもPBMヒーリングもチューイーもしなくて良くなりました。 まだ間隔等の微調整があり、その追加分のマウスピースを作るのに1ヶ月かかるため、その間最終分と同じ形のマウスピースを引き続き20時間装着してく

    • 路上に座り込むのはよっぽどの時だろう

      「あの時こうしていれば」の後悔を修正することを重ねて生きている。行動の修正のチャンスは何度も訪れる。少しずつブラッシュアップして行けていればいい。最初の後悔は消えない。 「立てなくなっちゃったんだって」 何も聞いていないのに小学生が解説してくれる。 その小学校沿いの歩道は簡単な柵で車道と隔てられており、言われて目線を落とすと杖と小さな買い物袋を持った上下ジャージにサングラスの長い白髪の男性。その両脇に先述の小学生と、私の目の前を走行していた自転車の女性が駆け寄っていた。少年

      • 歯列矯正 〜中間報告

        さて歯列矯正を始めて半年経った。 マウスピースの数で言うと37/55。下の歯は既に動き切って完了しており、残すは上の前歯列のみとなった。正面からは見えないが、前歯列と奥歯列の間が一旦ぱっくり空いた状態で、これを経て傾いた前歯と間隔を整えながら引っ込んでいくというダイナミックに動いていく時期だ。 年末あたりは食べにくかった。だが、これはすきっ歯状態だったからか単にアタッチメントで咀嚼しにくかっただけなのかは分からない。 ともあれ、矯正期間後半に入りここからやっと治したかった

        • NCT NATION@味スタを終えて

          NCTとはハロプロである。 これは人にNCTを紹介するときに分かりやすく伝える最初の説明だ。 1分だけ説明させてほしい。 NCTというグループがあり、その中に3つのチームがある。NCT 127(9人)、NCT DREAM(7人)、WayV(威神V)(6人)※。時々所属チームに関係なくユニットが組まれることがあり、ハロプロなら「ミニモニ」「タンポポ」「ごまっとう」など都度名前が付くところそれら全てNCT Uと呼ぶ。UはUnitedのU。覚えやすいですね。ユニット人数は2人だった

        歯列矯正 〜8ヶ月で揃ったよ

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        • 文芸ヌー(「井沢」名義)に書いた作品集
          30本

        記事

          芸人さんの歯列矯正に勇気をもらい

          しれっと歯列矯正2ヶ月である。 7月からマウスピースでの歯列矯正を始めた。年々前歯が一本傾いてきて細い麺類が噛み切れなくなってきたからだ。これから老いていくにあたりこれより傾きが酷くなったら審美的にも良くない。テレビで千鳥ノブさんやかまいたち濱家さんやさらば青春の光森田さんなど年齢の近い芸人さんが歯列矯正している姿も背中を押してくれた。だよね、私たちの世代でも遅いなんてことはないよね。少し前だけどおぎやはぎ矢作さんも矯正でみちがえるほどきれいになった人のひとりだ。関係ないけど

          芸人さんの歯列矯正に勇気をもらい

          ゴールドジム3ヶ月

          ゴールドジムに入会して3ヶ月が経った。体脂肪率が-2.5%、体重で-2kg減少した。食事は特に変えていない。そしてビギナーサポートが終わった。そう、もうビギナーではないのです。当初目標だった各マシンの使い方と目的部位が分かるようになり、フリーウエイトのトレーニングもできるようになった。特にバーベルの種目は「ザ・鍛えてる人がやるやつ」という感じでテンションが上がる。顔つきが精悍になったかは分からないが、多少すっきりしたんじゃないすかね。背中や脚は見た感じも変わった。 というわけ

          ゴールドジム3ヶ月

          ゴールドジム1ヶ月

          ゴールドジムに通うようになって1ヶ月経った。突然だろ? 当初の動機は近くにあってサボらず通えそうなのと、「キックボクシングをやりたい」。結論から言うとキックボクシングは現在私が通える時間帯にやっていないことが判明して諦めたが、体験利用してみて良かったのと、体作りはしたいから入会した。 夜道を歩いているだけで向かいから来た自転車に跨った男に“なめてんの?”と言われたりするし、ナメられ起因の痴漢対策も護身もしたい。望んでないのに目の前に現れるあらゆるヤバい奴に対して「私が温情で

          ゴールドジム1ヶ月

          スーパーマーケットは本屋説

          夫はスーパーに寄るのが好きだ。 時間的に閉店間際の半額ゲッターとしての活動が主だが、元々料理が好きで、新商品や旬のものや目新しい調味料を見つけて嬉々として買ってくる。私もまたそれらの戦利品を見るのが好きだ。 ある日、君は一般的な男性というか一般的な人よりかなりスーパーが好き過ぎやしないかと尋ねたところ、 「たぶん、本屋に行く感覚」 と返ってきた。 数年の間に我々の町から本屋が次々になくなっていった。週に何度かあった本屋での期待と探し物の時間。その時間が今スーパーに充てられて

          スーパーマーケットは本屋説

          嵐と走る女

          「ジョギングや通勤の時は最近はもっぱら嵐ですね」 ある日、友人が嵐の曲を好きになっていた。 彼女は頭の回転が早く、仕事のできる、都会的でおしゃれな、ユーモアに溢れる活動的な女性だった。私と同じく嵐ドンピシャ世代より少し上のはずだった。 「嵐」 「はい」 「ユアマイソウソウは知ってる」 「そうです!」 「なんか意外と言うか、嵐ですか」 「それがですね、すごく元気が出るんですよ!何曲か聴いて良くて、試しにアルバムも聴いてみたらどれもすごく良くて、ちょっとハマりましたね」 「ジャ

          嵐と走る女

          伝達性なく存在したものとジレ

          言葉はあくまでも後で他者に伝達するために出来たものだ。言語化に重きを置きすぎて個人的な感覚を無視した着地点にしたくない。言葉を覚える前の子供が感受性に生き、言葉を覚えた後は感受したもののうち言語化できなかったものは記録性がないため記憶されず存在しなかったことになっていのではないか。 (このテーマは文芸ヌーで『無重力の夕方』という作文にしたことがある。) 自分の内で沸き起こる感覚をまず感じ切るのに専念する。言語分野の回路は一旦切る。当てはまる感情を探し当てるのを後回しにする。

          伝達性なく存在したものとジレ

          100%幸せになるものリスト

          元気が出ない時用に「とりあえずこれを食べると100%幸せになるもの」「これを見ると100%笑うもの」をリストアップしてスマートフォンのメモに入れている。 「これを見ると100%笑うもの」(2023.4月現在) ・下手リコーダーのMy Heart Will Go On ・東京03が歌う『メリーアン』 ・東京クールの「ヘーイ!」 ・博多華丸さんの「あー大吉さんは東京に染まりんしゃったー!」 ・ザ・マミィ酒井の七変化の『糸』 当然時間が経つと入れ替わりがある。 だがMy Hea

          100%幸せになるものリスト

          ヒコロヒーとセットアップ

          信号待ちの向こう岸のカップルの男性がヒコロヒーとしか言いようのないセットアップ姿だった。色も素材も形も。今生きていてその服を買う時に全くヒコロヒーが頭をよぎらないということはあり得るのだろうか。つまり彼はヒコロヒーに憧れていたのではないだろうか。ないだろうか。

          ヒコロヒーとセットアップ

          入りのいい周波数のFMはダサい

          入りのいい周波数のFMはダサい。そう思ったことはないだろうか。 NHKFMの話をしたい思う。 NHKFMのいいところは2つある。 1つは入りがいいこと。新聞に書いてある周波数に合わせればまず雑音が入ることはない。私は東海〜関東地方しか経験していないが、きっと日本全国そうだと思う。そうだよな?なんとなく周波数を探っているといきなりクリアに入るのはだいたいNHK。他局に当たりまたザッピングを進めまたNHKに当たる。何度でも当たる。アンテナを伸ばすまでもないのだ。 2つ目はBG

          入りのいい周波数のFMはダサい

          上京して最初に住んだ町

          上京して最初に住んだ町は特別だ。 初めての行き先ばかりで生活のルーティンも定まらない変化の中で毎日同じところに帰宅して、その景色が近付くとほっとする。 その後何回引っ越しても、年が経っても、行かなくとも、その親しみは変わらない。もちろん町は変化しているわけだが、町も私も変化していくものなのだからお互い様だろう。 初めて住んだ東京は世田谷線沿いの松陰神社前の商店街。商店街は素敵だ。 朝は遅くまで寝てちゃいけない気分になる。 魚屋さんは午前3時に一度来る。 八百屋さんは年中無休

          上京して最初に住んだ町

          EAT IT 食育と私

          「食育」という言葉はまだなかったが、食の教育はしっかり受けてきた。給食センターが頑張っている自治体で、定期刊行の給食だよりの内容が充実しており、セラミックが開発された初期の段階から実験的に小中学校でプラスチック製の食器の代わりにセラミックを使用し、その後完全移行した。 母も食に関しては信念があった。祖父母と一緒に暮らしていると味付けが濃くなりがちなところ、出汁を効かせた薄味に慣れさせようという意思があった。 それゆえに染みついてきた習慣と罪悪感で今でも食べたくないものがある

          EAT IT 食育と私

          指輪ができるようになるまで

          それはほぼ自分デッドストック。 十数年越しにクロスで磨いてみた。ほう。 好みが変わってないということでもある。 20代中盤、金はない。 デッサンして帰る途中、新宿ルミネエストのH.P.FRANCE(当時)で見かけてずっと欲しかった指輪を買った。ジャンクなピアス以外で宝飾品を欲しいと思ったのは初めてだった。幅広で可愛すぎず、いかつすぎず、表に見せない断面のジルコニアがとても良かった。なんていうか、「同意」「こうありたい」と思った。こういうのは思い込みが大事で、それが全てだ。

          指輪ができるようになるまで