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文芸ヌー(「井沢」名義)に書いた作品集

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生活に負担の少ないブンガクを。 文芸ヌー(https://note.com/bungei_nu)は、主宰天久聖一さんとデイリーポータルZの「書き出し小説大賞」から飛び出した文芸集… もっと読む
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記事一覧

拐っておいて勝手に愛を注ぐな(井沢)

「どこ行きたい?ニシオの行きたいところどこでも行こう」
それなら今すぐ一番近い駅で私を下ろしてくれ。そして私だけの日曜日を取り戻す。布団に入って一眠りしてやり直すのだ。用件は終わったし、私の行きたいところなどない。日はすでに西に傾き午後がゆっくり終わろうとしており、取り返すにももうほとんど無いのだが、それでも強い意志を以て日曜日を取り返す。

海が見たいと言ったのはリミだった。

同い年だったか一

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第一候補はいつも不在(井沢)

「りんごティーください」
「申し訳ございません、ただ今りんごティーを切らしておりまして、レモンかももになってしまうんですが」
「あっ、そうですか。じゃーあー…ももで」
「ありがとうございます」
「『ももティー』ってなんかうける」
「『ももティー』」
「午後ティー感ある」
「も↑も↓ティー」
「ももちじゃん」
「違うよジモティーだよ」
「ヒロキ」
「ヒデキ」
「ピロティ」
「猪木」
「『猪木』!」(

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殲滅、直ちに一掃せよ(井沢)

「うちはリサイクル屋だけど、箒とちりとりがあると思った?」
なんだこのヒョロヒョロは。そう言われればそうか、みたいな顔をしている。
「あー」
目線を空に滑らせる。
「中古では誰も買いませんもんね」
「中古を誰も売らないんだよ」
「あー」
今度はなるほど、みたいな顔だ。
「待ってなさい」
奥に行く私を微動だにせず見ている。
昨日この商店街に引っ越してきたと言うその若者は、通り沿いの店を端から順に覗い

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敗者の手にも長いフェルトは赤い(井沢)

人に夢を諦めさせるほどの天才に出会ったことはあるだろうか。私はある。

小学生の頃は、同級生と先生に「ピアノ伴奏といえば?」と聞けば「のんちゃん」と返ってくるくらいにピアノが上手い子供であった。ランキングこそ無かったものの、上位2位には入っていたと思う。卒業式の20分にもわたる組曲のピアノ伴奏をトップ1・2の二人で交代で勤め、音楽の授業の時には先生がからかい半分に「ドとファとソがシャープならイ長調

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ステイ(井沢)

社長室。叱られているところに、社長の携帯に着信が入る。
「あ、私、席外します」
「いやまだそこにいろ。もしもし?」
お互い叱責の雰囲気と反省している雰囲気のままステイしている。
しばらく続く通話を反省の姿勢のまま待っている。
「そこはー…早稲田だよ」
早稲田。
「本籍地は早稲田だよ」
本籍地?
「西早稲田の1丁目だよ」
動くなと言われたからには黙って聞いているしかなかった。
続いて出てきた言葉は予

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ガラスに刃を当て引いてみる(井沢)

ある朝、町中のガラスが真っ白く濁った。
寝ぼけたまま開けた窓はこの時季には珍しく結露しており、まだ寝ているであろう2階のみゆきの部屋の窓も梅雨空を映して白んでいた。
みゆきと私は隣に住んでいる。中学になっても相変わらず一緒に登校しているが、彼女曰く「毎朝玄関前で呼ばれると急かされてるようだし実際親にも急かされる」とのことで、角の農協の駐車場で待ち合わせている。その農協が今朝は白い。赤茶色の煉瓦に囲

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正月に始末される(井沢)

寝ぼけ眼に雑煮。
揺れる鰹節と湯気の向こうで半ば出汁と同化した餅の密度は喉を塞ぐのにうってつけだった。鍋の前に立つ母は笑顔だ。喉に詰まらせてなるものか。飲み込んでいる最中なのに2個目が碗に入る。もきゅもきゅと噛んでいると次の餅が入れられる。つゆは足されない。詰まらせてなるものか。
そこへ廊下を進む姉の声がする。
「年賀状きてるわよ」
出たな刺客年賀状。姉は私の向かいの席に雑に腰掛け宛名ごとに仕分け

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ゴールドブレンド(井沢)

「ゴールドブレンドの詰め替えを買ってこいと言ったよな」
「はい」
「お前が買ってきたのは何だ?」
「ゴールドブレンドです」
「ゴールドブレンドの“瓶”な」
うわ、いやな空気になった。また仕様もないことで佐々木と代々木が揉め始めた。
「じゃあ私はこのへんで」
「そこにいろ!」
私は何も言わずに一旦手をかけた鞄を座席にゆっくりと置いた。
「いいか、詰め替え用の紙パックのが売ってるんだよ」
「はい」

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無重力の夕方(井沢)

いつも遊んでいた子はいるはずのない子だった。
母が近所へ出かけたりご飯の支度で不在になり、さて残った子供たち二人で何をしたものかという折にいつもその子は現れた。金髪のバービー人形に母の手作りのニット服を着せたら「じゃあこのオーロラ色のスカートにしようよ」と提案してくれたり、縄跳びの回数を横で数えてくれたり、一人でゴム跳びをしようとゴムの片端を物干し竿に、もう一方を外水栓に括り付け、それでは具合が悪

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炭酸怪談 (井沢)

「ウィる、ウィらない、ウィる、ウィらない、ウィる」
花占いをするウィル・スミス。
「はあ……」
「何回やっても俺はウィル・スミスってわけか」
軸だけになった花を投げ遣るスミス。
花が落ちた砂地にクーラーボックスが埋もれている。
かたかた、かたかた、と音がする。
あれっと思ったけどやっぱり聞こえる
かたかた、かたかた、
「いやだなあ 怖いなあ」
ビビるスミス。
銃でクーラーボックスの鍵をぶち開けると

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ピレネー (井沢)

「そう簡単にはピレねえよ!」
「先輩!」
イベリア半島の付け根の地面が隆起する
「みんな簡単そうに言うけどな」
「そんな…簡単だなんて思ってません!」
「こっちは押し潰されそうなんだよ」
フランス側が崩れ落ちる
「大丈夫ですか」
「大丈夫なもんか」
スペイン側が崩れ落ちる
「今週ずっといいかんじにピレてましたって」
「練習でうまくいったからって本番でピレなきゃ」
「ピレるかピレないかまだ分からない

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爆発定時 (井沢)

チェックイン・カウンターにて
「お客様は2個ラゲージでよろしかったですか?」
「はい?」
周囲を見回し
「ああ、えっと…そう、ニコラス・ケイジです。」
「失礼いたしました。お客様は何個ラゲージですか?」
「1個…ラゲージですけど。」
「かしこまりました。」
聞き違うケイジ。
「自己紹介しちゃったよ。」
と漏らすケイジ、荷札を呈示。
荷捌き名人、手早く計量。
「えーお客様はボスポラス経由」
「するん

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【ニッケル・サンダース 3/3】 後始末 (井沢)

ウェイターはニッケル・サンダースの後始末をする

「ジーザス」
全く。
セルフ式のカフェだというのに、トレイを席に置いたまま帰った客がいたらしい。
もちろん、そういったものを片付けるのも彼の仕事。
そういったものを予測に入れ対処するのも彼の仕事。
またこんな混雑時に…
ずっとフロアを見て回っていたはずなのに、いつからこのままだったのであろう?
待っている客もいる。 気付いて気を悪くしていたかもしれ

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【ニッケル・サンダース 2/3】 落雷 (井沢)

再び雷雲の上、高木と中本とサンダース

「目標が見えてきたぞ。」
「国道バイパス沿いのカフェか。」
「どこもかしこもケン・ヒライかよ。」
「何の話だよ。」
「なあ、あそこの窓際カウンター席のいちばん端っこでいいのか?」
「ああそうだ。」
「思いがかさなるその前にそっと俺の手を握るつもり?」
「いや全然。いいから太鼓の用意しとけよ。」
「ラジャー!」
 とんとん たとん とん たとん
「お いいね~

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